PLAYNOTE ちくま学芸文庫『デリダ』

2008年10月29日

ちくま学芸文庫『デリダ』

[読書] 2008/10/29 15:33

仕事とは一切関係ない本が読みたい! と思い、積読棚(つんどくだな。50冊常駐)から一冊手に取った。脱構築の哲学者、ジャック・デリダの入門書。

確か渋谷パルコの地下の本屋で惚れ込んで衝動買いしたんだが、読んでみるとヒーヒー言わされた。各ページにおしゃれでスタイリッシュなイラストがたくさん入っているから、それはもう読みやすいアレかと思ったんだが、全然読みづらかった。この本が悪いんじゃなくて、デリダ自身が難解なのだろうが。

とか言うと冒頭のこの言葉を思い出す。

私を難解だと非難する人たちは、正しく読んでいないか、それとも最初から読むのを拒絶したほうが良いと判断できるくらいには理解しているか、そのどちらかなのだ。

って言われてもやっぱり難解だと思うんですけど。

とりあえず、脱構築、決定不可能性、パルマコン、代補、痕跡、パロール、エクリチュール、ロゴス中心主義、転覆、displacement、下全、差延(differance)、パレルゴン、コーラ、その辺の用語の意味は捉えたと思うが、多分一週間すると全部忘れてる。さらに、おぼろげに理解できたと言っても、じゃあ脱構築的な発想を持って俺に何ができるのか、というと、全くアイディアがない。

二項対立的な旧来の発想から離れ、どちらかを否定するでも肯定するでもなく「ずらして」事象を見る・把握する。オーケー、わかった、やってみるよ。でも、今んとこどうしていいんだかさっぱりわからない。

ここで「どう役に立つんだ」とか考えちゃうのは実に功利主義的な考え方で、いかんなぁと思うが、忙しい現代人の端くれである僕には功利主義やら実際主義が前に出てきちゃうんだよね。デリダがやったことって、純粋に哲学を見詰めなおすって意味ではテロのように強烈で愉快で画期的なものだったのかもしれないけれど、その先どう応用されるんだろ。

という考え方自体がロゴス中心主義的だというのもわかるぜ。ずらせ、ずらせ、ずらせ。その先に何があんだかしらないが、手垢のついてない領域の認識や知を探るって意味で大変興味深い発想法であるとは思う。今んとこ、俺は当惑しているばかりだが。

とりあえず最後に「ああるいサザエさん」を貼っておく。なお、これは単に今Winampからそれが流れたってだけであって、このタイミングでこういうものを引用するのが脱構築という訳では全くないから気をつけて。コンテクストから独立してエクリチュールが存在できない、という意味で、一つの面白い例だとは思うが。

あかるいサザエさん

明るい笑いを振りまいて お料理片手にお洗濯
タラちゃん ちょっとそれ取って
母さん この味どうかしら
時にはしくじることもあり ちょっぴり悲しい時もある
だけど だけど
明るい私は 明るい私は サザエさん

ところで

何となくググったらこんなウェブページが引っ掛かった。ネットは偉大で広大だ。バカだけど。

本読みHPと言えば僕の愛読・敬愛ウェブサイトのひとつ。一生懸命読んでみた。さすがにいいジョーク・センスをしているし、裏に横たわっている知識量といったらないね。面白かった。

でも、これってデリダの言うところの「脱構築」とはまるで違うよね? むしろ構造主義的にカツ丼を読み解いているように思えるんだが、そこんとこどうなんでしょう、哲学に詳しい人。教えて下さい。