PLAYNOTE 秋の夜長に一人考える

2008年09月20日

秋の夜長に一人考える

[雑記・メモ] 2008/09/20 02:22

昨日はJANIS準備のための映画鑑賞会、今日はCoTiK顔合わせ。

映画鑑賞会。フェスティバル・エキスプレスの映像を見る。1970年、死の三ヶ月前にジャニスが参加した鉄道まるごと貸し切って当時の人気アーティストを詰め込みアメリカからカナダまで旅したツアーの様子。当時の空気が伝わってきてイイが、あっという間にやはり注目はジャニスに集まり、途中からエアギター・エアドラムと生ボーカルによる演奏大会になっていた。

いい座組だなと思っている。今回。若い。前回の『マリー』は、俺より年下の人間が二・三人しかいないってくらい偏った座組だったが、今回は逆に俺より年上がほとんどいない。若い。その若さが、荒っぽさとしてもよく出ているし、ひたむきさとしてもよく出ている。全員がジャニスという存在と今回の戯曲を愛している様が伝わって来て、驚くほど向上心がある。気持ち悪いくらいだ。

PIKOはややビッグマウスでナルシストだが、それが許されるくらいの個性と魅力と冷静さを持っているし、千葉くんは前回のマリーでの固さが抜けて伸び伸びと演劇創造を楽しんでいるように見える。斎藤さんの真摯で実直なスタンス、寛容で落ち着いた前向きさや、影山くんの一歩引いて役をとらえてあれこれ研究とトライを重ねている姿には励まされる。亜希ちゃんは殻は固いが中身が柔らかく、火が通るまでは時間が掛かるが火が通ると急に味が変わる魔法の木の実のようで、いじり甲斐があるし、声と表情が抜群に自然体でイイ。いいときは。アキラはまだ不慣れな場所でぎこちない印象はあるが、ああ見えて一番真剣で真摯で研究熱心で、その上うまくいかなかったときの「くやしさ」をきちんとかみ締めている点が素晴らしい。いい座組である。

今日はCoTiK顔合わせ。すさまじい温度差。今回のDULL-COLORED POPが人間性を徹底的に蹂躙していくような創造であるのに対し、CoTiKには博愛的で平和なムードが満ち満ちている。

昨年は19人だったが、今年は25人近く出る。何人か「めっけもん」がいるし、市民劇で面白いのは最後の一ヶ月の伸び様である。いろいろな人生に触れられるというのも楽しいが、今日顔合わせを終えてみて、今一つモチベーションの上がらない俺が、一つ目標にしようと思った瞬間にギュインとやる気がでたものがある。とにかく、面白いものを作るということである。

一応ね、CoTiKのね、表向きの目標、団体としての目標地点は、演劇を通した地域文化交流、演劇を遊び道具にして地域の人と繋がろう、みたいなとこ。俺はこれを団体運営の鉄の掟としてはいるが、根が慈善家でもないし善人とも言えないから、それだけだとモチベーションが沸いてこない。「源氏やるとか、しかも素人でとか、無理っしょwww」と多くの人が思っていると思うので、そういう着想をグシャグシャに握り潰して土下座させるような面白いものを創りたい。結局俺が演劇をやってるのって、そういうサディスティックな快楽主義に根ざしているのだろう。

池田君には大変申し訳ないし、プロの仕事人として完全にエヌジーなのだが、まだギリギリエリンギの脚本が仕上がっていない。目下、最大の悩みの種。こいつを書き上げないことにはJANISにもCoTiKにも全力を注げない、というか気がかりで気がかりで他に手がつかないような状態なのだが、まだもう一苦労しなければならなさそうだ。実験的なことをやらねば面白くないのだが、キャスティングと演出という武器を手放して、戯曲だけポンと渡してそういう実験性がきちんと現場で形になってくるかどうか不安だし、単純に「これ面白いのかな…」という不安もある。自分が面白ければいいのだが、今回の内容と形式はあまりに一方的で一般的でなくて、果たしてこういうのって理解されんのか大変不安である。もちろん、俺は超面白いと思っている。まだ全部は書き上げてないんだけどね。

秋の夜長だからゆっくりワインが楽しめる…とか中吊り広告に書いてあったんだけどさ、日没も日の出も関係なく、時計に従って生きている現代人に、秋の夜長はまるで関係ないと思った。自然なんか一つも関係ない。隣人も恋人も好敵手も一つも関係ない。きちんと死を見据えて一文字一文字を書かなければならないし、きちんと死を見据えて立って歩いて寝て起きてしなければならない。