PLAYNOTE OTEMACHI

2008年07月15日

OTEMACHI

[雑記・メモ] 2008/07/15 03:05

大手町を歩くと心がべったりして嫌な気持ちになる。ビルの隙間から七本足のタコが出て来て、俺の皮膚を長くて黒い足でなめ回し、粘液だらけにして帰るだろう。

思い出はいつも忍び足で俺のすぐ2メートル後ろを尾行しているが、その足音にさえ気づかなければ街は歪まない。音や気配に敏感になると、狭い東京ではすぐ迷子になる。五反田へ行こうかと思い立ってそれもやめる。自宅には仕事が待っている。

西巣鴨から三田線で大手町まで。千代田線に接続しようとする俺の心、だが落ち着かずに気持ちが途切れてしまう。鞄に台本しか入れてこなかった、そしてその台本がたった今ボツになったようなので(つかみどころのない議論だった)、俺はもう読む物がない。活字禁断症状にイライラが始まった俺は、ナチュラルローソンやapに入って本を探すが、「年収一千万の男になる!」とか、「すべらない話し方(ビジネスや合コンで)」みたいな本しか置いてなくてうんざりする。殺意すら覚える。

最近芝居をやっていて思うのは(あえてここはぼかして書くが、自分のことではない)、人間は絶対に完璧な嘘はつけない、ということだ。騙していられるのはそう長くない。人によっては一瞬で見抜くものだし、見抜かれなかったとしても、あるいは見抜いた奴が黙っていたために当人が「ほら大丈夫」と思っていたとしても、時間がいつかそれをズタズタに暴露する。人間は自分が抱えている以上のものは言えないし、書けないし、演じられないし、創れない。

では僕たちみたいな凡人どもはどうしたらいいだろう? 俺が画家とバイオリニストのカップルだったり、内線の続くコンゴや一昔前のベトナムや一世紀以上前のロシアに生まれたり、そういう生存苦と才能を抱き合わせで giftfed されたことのない僕らはどうしたらいいだろう? 一番いいのは黙って毎日大手町に通って、半年ごとに家電を買い換え二泊三日のパック旅行に行きながら生きていくことだろうが、それが嫌だったり、それに魅力を感じなければ、徹底的に生存苦を味わうほかないだろう。人間は自分が抱えている以上のものは表現できないからだ。

読者や観客の見る目は馬鹿としか言いようがないが、彼らの直感力は正直だ。誤魔化していられるのも今のうちだよ、と、これは七本足のタコではなくて、エメラルドグリーンの毛並みをした行儀のいい猫に注意される。わかるよ。

今はジャニスを書いているのだが、書くことよりも大事なのはまずは感じることであり、次に大事なのはどういう形であれきちんと形にするということだ。騙し騙しやってやれるような安い商売じゃございませんけえ。

うちに積んである積ん読ラインナップの中から、今晩はケルアックか、クンデラか、コエーリョを読もうと思う。あるいは、コズミックブルースを聴くか、源氏物語を読もう。