PLAYNOTE 夏目漱石『道草』

2008年01月20日

夏目漱石『道草』

[読書] 2008/01/20 01:08

今回、初めて読んだ。全102回の新聞連載小説だが、一回ごとに興味がそそられ感心が尽きず、一気に最後まで読み通してしまった。

連載と言ってもジャンプのようにおいしいところで次号へ続く、ではなく、一回ごとに読み切り的にきちんと読ませどころや力点があるのだが、作品全体を通して見てもきちんとした構成があるのには驚くばかり。どういう構成力、どういう頭脳を持っていると、こんな離れ業がやってのけられるのか。

漱石の私小説的な一作、と云われることが多いが、そればかりでもないというのは巻末で詳説されている通り。しかし広義においてはこれも私小説と言って好いだろう。主人公・健三に対し、相原和邦氏が言うところの「反措定叙法」なるものが多用されていることは一読してもよくわかる。が、主人公はやはり健三であり、他の人物は描き込みの一面的なること背景か人形のごとしである。漱石が、過去・あるいは現在をも含めての自分自身というものに対し仮借のない批判・検討の目を向けているのは間違いないが、情動の中心はやはり健三にあり、他人の小説ではあり得ない。

ところで自分は文学史などまともに学んだことのない無学漢なので知らなかったのだが、漱石は余裕派・低徊趣味と呼ばれていたそうで、『道草』はこんな評価を受けていたのだそうですな。馬鹿の一つ覚えでWikipediaから。

私小説風のため、小宮豊隆らからはあまり勧められないなどと書かれ、不評であった。しかし、これまで漱石のことを余裕派と呼び、その作風・作品に批判的であった、いわゆる自然主義と呼ばれる作家達からは高く評価された。

へぇ、なるほど、とも思わないでもないが、この『道草』をとってしても漱石の余裕派然とした点は現代の自分から見ると明瞭過ぎるほど明瞭で、むしろ養父との関係にまつわる自己の厄介な思い出を題材にしながらも、かように超然とした態度を維持し、主人公に冷たい省察・冷罵を加えている漱石に驚いてしまう。だから、この『道草』を読んで自然主義作家陣が評価した、というのはよくわからない。もちろん、健三に対してのみねちっこく執拗に冷徹な批評を加えているその執着こそが、余裕派であった漱石の余裕の失せた証拠、低徊趣味だと高みの見物を決め込むことを捨てて自信の感情に混濁した証左と言えなくもないところなのかもしれないが、そんなことを言ったら『こころ』にせよ『三四郎』にせよ同じだろうに。

ところで、漱石がこんなに金に困った男だったとは知らなかった。『道草』では学者肌の健三と世俗庶民との思想の対立が中心的に描かれてはいるが、その間を繋ぐキーとしてひたすらに金の話が出てくる。哲人と庶民が話題を一つにできるものと言えば、確かに金と恋の話くらいなのかもしれないな。それにしても漱石の貧困っぷりがイメージと違って何か驚く。

巻末のこの台詞が印象的。
「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」

少しずつ漱石という人柄がわかってきたように思う。芥川や太宰なんかは笑っちゃうくらい小心者で、必要のないことまでおっかなびっくり心配しながら、一人で勝手にずぶずぶと娑婆苦の底へ沈んでいく大馬鹿野郎、という印象だが、同じ文豪でも漱石はやはりちと違う。漱石の胃を痛め神経を病んだのは、小心だの心配性だの自信の欠如だのに類するようなものではなく、理想や責務というものを常に標榜し、それに沿うよう生きねばという重圧を誰よりも強く感じたがためであったのではないかしら。

作中、健三が、島田に対して遣ると決めた百円のことで妻から「そんなもの遣らんでもいいじゃありませんか」とか言われたときに、「遣らんでもいいが、己はやるのだ」というようなレスポンスを返している。これは、証文まで取ったのだから、形式上はもう必要がない、道義的に見ても世間様は何とも言わない、というような妻からの提案に対し、いやそうではなくろくでなしの養父と言えども恩情や約束(不義理不人情はしない)を破るような真似はしたくないのだ、というような理想・責務を感じていたからではないかしら。健三=漱石とするのは勿論乱暴だが、漱石はそんなようなことばかりやって生きていたような気がする。恐ろしく理想と使命感の強い性格だったが、独断専行で我が道を行き、周囲の反対やらやっかみやら僻みやらを物ともせぬほど頑健な器を持っていなかった。

謎が多い人なので、まだまだ読もうと思います。