PLAYNOTE 夏目漱石『こころ』

2008年01月12日

夏目漱石『こころ』

[読書] 2008/01/12 02:20

ふとしたことから、漱石作品を片っ端から読み返してみようという心持ちになった。漱石の代表作はほとんど高校生の頃に読破している。「こころ」も例外ではない。教科書に載っており、「こころ」を題材に勝手に何か研究発表をやれ、という授業があったのを覚えている。ということは、実に十年ぶりの再読になる。

内容(「BOOK」データベースより)

……鎌倉の海岸で出会った“先生”という主人公の不思議な魅力にとりつかれた学生の眼から間接的に主人公が描かれる前半と、後半の主人公の告白体との対照が効果的で、“我執”の主題を抑制された透明な文体で展開した後期三部作の終局をなす秀作である。

まず驚嘆したのが、漱石の文章の巧さ。今まで漱石の文章には大した特徴がない、強いて言えば漢籍・漢詩の教養から来たと思しき熟語や造語の用い方に人並みならぬところがある、くらいに思っていたのだが、認識を新たにした。目が覚めるような心地。

とにかく簡素・簡潔で、読んでいて詰まることがない。が、語彙量の違いか発想力の違いなのか、簡素・簡潔なくせに表現に研ぎ澄まされた鋭さがある。気取ってレトリックをこねくり回す悪文は全く見られず、簡素な中に要を得ており、さらさらと脳に染み入ってくる。巧過ぎる。

もう一つ驚きを隠せない、どうやったらこんなことがやれるのか皆目見当つかないのが、文章との距離感である。「私」にせよ「先生」にせよ「K」にせよ、漱石の人生にその素材を見つけられることは言うまでもない。言うなればどれもが漱石の分身である。なのに、感情移入をしてのめりこんでしまうどころか、大した興味もないかのように突き放した客観的距離を持って淡々と描いている。これは、驚嘆に値する。太宰や芥川、三島なんかは、本人のどろどろとした情念のようなものが文章の裏に燃えているのが伝わってくるほどだが、漱石にはそれがまるでない。涼しい顔で残酷なことを書いている。

内容的にはほとんど覚えていたので驚きはなかったが、今の時代との違和感のようなものを感じた。これ、中高生とか読んで感動するの? いい大人が読んで感じ入るの? と疑念がよぎる。先生にせよKにせよ、高潔な理想とそれに届かない自分の間に強烈な葛藤を感じているわけだが、こんな清廉篤実な心構えを現代人は持ってないだろう、誰も。誰が感動するんだ? 俺は感動したが、それだって怪しいものだ。自分も先生やKのような心持ちを感じることはあるが、だが俺は決して自殺はしないだろう。明治の時代でさえ稀有だったからこそ、先生もKも時代や社会から脱落していたのだろうが、平成に生きていれば連中は三日と生きていられまい。あるいは、却ってもっとうまく時代や社会を飲み込めていたかもしれないが。

しかしいい小説だった。みんな本棚にあるだろ? 読み返してみると面白いよ、さすがに。高校生の時も面白いと思ったはず、だからこそ本棚に十冊近く漱石の本があったのだろうが、こうして読み返してみて初めて漱石が近代日本文学最大の文豪と呼ばれる所以が分かった気がする。