PLAYNOTE 風琴工房『crossing - Bパート「命を弄ぶ男二人(作:岸田國士)」「授業(作:イヨネスコ)」』

2007年12月26日

風琴工房『crossing - Bパート「命を弄ぶ男二人(作:岸田國士)」「授業(作:イヨネスコ)」』

[演劇レビュー] 2007/12/26 22:48

不条理劇の名作をA・Bパートあわせて4本上演する、という、上演形態がもうすでにアヴァンギャルドな企画公演。フェイバリット役者の中田顕史郎さんが出ていたので、そしてイヨネスコを一度観てみたかったので観に行った。渋谷ルデコ五階にて。

岸田國士『命を弄ぶ男二人』とイヨネスコ『授業』の2本立てだったBパートだが、これで1800円は安い! 不条理劇は難しいもんじゃない、そういうことを言う奴は大勢いるが、この上演ほどそれをはっきり明瞭に教えてくれる機会はそうそうない。とにかく面白い。俳優もいいし、戯曲もいいし、演出もいい。是非観に行くべき公演だぜ。

命を弄ぶ男二人

紹介:不条理劇、ではないのだが、岸田國士の名作であり、面白かった。三年ほど前に一度読んで上演も考えたことのある思い入れのある作品。男二人の話だが、岸田國士の書く「女」はやっぱりいいなぁと変なところに感動。ラブレターを読むくだりなんか、こんな文章、書けたらいいなぁと感動しきりだった。

岸田國士のこってり優雅な文体を、あたかも現代口語のように軽やかに扱っていた点は見事だった。ほとんどコントのようになっていたが、考えてみればもともとそういう作品なのだ。コントの中に人の悲哀と人の滑稽さが観られればなおよかったな。プラレールの電車を使った演出は馬鹿馬鹿しさと男二人の幼稚さを倍加して見せており◎。

授業

もう、最初から最後まで、中田顕史郎劇場。顕史郎ファンは必見。つーか、前回出演していた空想組曲から中2週間でよくぞここまで。膨大な台詞量(マジで膨大、それだけで感動)に翻弄されず、百面相さながらに表情やアプローチが変わっていく。見事。小劇場でこんなにいい俳優が観れる機会ってそうそうないんじゃない?

と言うと、単に顕史郎さんがよかった風に聞こえるが、競演者も戯曲も演出も、すべてがよかったんだな。最初から最後まで笑いっぱなしで、しかもその最中に時々ふと背筋がぞっと凍り付く悪夢のイメージが走り抜ける。これは、面白い。

不条理演劇は、すべてのピースがきちんと成立すると、全く「不条理」ではなくなる。不条理劇と言った場合の「不条理」とは、元来"absurd"、「バカバカしい」とか「愚かしい」くらいの意味だが、いずれにせよきちんと成立した不条理劇は「不条理」でも"absurd"でもなくなる。その「不条理」で"absurd"な状況や人間存在の持つ重篤に病的な悲痛が、心に直接届く演劇作品になる。

「授業」の筋書きはシンプルだ。登場人物は、教授、召使い、生徒。個人授業のため、はじめて教授の家を訪れた生徒に、教授があれこれと授業をしていく。徐々に二人の歯車は噛み合わなくなっていき、やがて…。

描かれているのは知性の敗北だろうか。教授が知性と堅忍不抜の象徴であるとしたら、知性は生徒が象徴する蒙昧無知で浅俗なブルジョワ精神に媚びへつらいごまをすり、召使いが体現する生活や社会的道徳の前に屈服するしかない。教授の理論がいかに正しくいかに高邁であろうと関係はない。誰も彼の理論を理解するものはいない。

もちろんイヨネスコがこんなそれこそ浅俗な意図でこの芝居を書いたかどうかは定かではないし、多分そうではないのだろう。しかし、自分にはそう響いた。いいことである。よくできた不条理劇は、明確な主題を持たず、ただ漠然と強迫的な圧力を持った苦々しい感情をだけ残していく。解釈は自由だ。

終演後、顕史郎さんに挨拶に行ったら、教授の一見でたらめな言語学理論には、ヴィトゲンシュタインへのオマージュが含まれていて、彼の中では完璧に論理的貫徹を成し得ている、というようなことを熱っぽく話してくれた。一時間半喋りっぱなし・動きっぱなしの肉体力に加え、イヨネスコの解釈にヴィトゲンシュタインを引き合いに出してくる頭脳力。子供のような瞳をした、好奇心旺盛で開きっぱなしの心。俳優として必要なものをこれほどバランスよく潤沢に持っている人はそういない。いつか一緒に仕事がしてみたいものだ。

とにかく

面白かったのでみんな観に行くように。ジァンジァンなき今、渋谷でイヨネスコが観れるなんてもうそうそうないことだぜ! 損はさせません。

コメント

投稿者:りゅーせ (2007年12月27日 00:23)

面白いですよね、イヨネスコ。
役者やってても知らない人とか結構いますけど。笑