PLAYNOTE ニヒリズムな日々

2007年12月01日

ニヒリズムな日々

[雑記・メモ] 2007/12/01 04:05

メモ。

今、どういう本を読んでいるのかというと、当然上演が控えている『ロミオとジュリエット』なのだが、並行して『ツァラトストラかく語りき』を読んだりしている。どういう組み合わせだ。

ニーチェの著作は今まで『善悪の彼岸』『この人を見よ』『道徳の系譜』『悲劇の誕生』なんかを読んだはずなのだが、ぶっちゃけ、一つも心に残っていない。いや、『悲劇の誕生』は別なのだが、これは哲学というより芸術論とか文化論に近いものだから、ちょっと違う。思想としてのニーチェは、全然体系立って俺の心の中にない。

じゃあ何で読むのか? というと、それでも惹かれる何かがある、と思うのだが、結局熱狂的に没入できないのは何でなのかしらん、ということを考えて、あぁ、それってきっと、こういう考え方や生き方は、もう自分にとって無理なのだ、ということなのかとはたと気づいた。おこがましい記述だが、どうやら昔の自分、それも高校生になってすぐの頃までの自分にとってはとても耳に心地いいであろう発想が並んでいるのだが、それはもう無理なのだろう、と今になって思う。今読んでいるのが偶然ツァラトストラだからかもしれんが。

ツァラトストラな生き方はあまりに孤高であり理想主義的である。「理想」と言うと遠いような、夢の向こうのような響きのすることを、実人生でバリバリやれ、古臭い道徳も因襲も馬鹿な大衆も切り捨てて独善独歩の哲学を築け、みたいなことが今まで読んだところまででは書いてあるのだが、そりゃあ無理だよ、とすぐに心が打ち消していく。

最近の自分は、演出をすることと興行を打つことがメインの関心事なので、恐らく耳に心地いいであろう言葉はマキャベリズム(←笑)とかプラグマティズムな考え方なのであり、ツァラトストラの言うことを間に受けて演出したり企画立てたりしようものなら、すぐさま破綻するのは目に見えている。もちろんそういう事態に対してツァラトストラも言葉を投げかけてくれるのだが、そのアドバイスは「気にするな、ついてこないものはほっとけ」みたいな感じだから、もう全然ダメ。

でもそれでも何故惹かれるのか、というと、魂の奥底ではきっと、自分がそういう純粋にして完璧な、孤高ながらも力強い追求というものを欲しているからなのだろう。以前どこぞのニーチェ好きが、「あれは読むな、読むとダメだ、実人生に持ち込むと一瞬で人生がパーになる」みたいなことを言いつつも、それでもニーチェが好きみたいなことを言っていたが、その気持ちがよくわかった。

ニヒリズムというものが、自分と社会に蔓延しているのを感じる。本気で世の中よくなると思っている人はこの世の中にどれくらいいる? いるとしたら、ちょっと痛い人だけでしょう。無理無理、投票率が上がったり犯罪検挙率が上がったり社会福祉が充実したりしたって、世の中よくなりませんよ。一本や二本、素晴らしい小説や舞台があったって、世の中よくなりませんよ。

ということを自覚的に考えてはいないにせよ、心のどこかで感じていたんだろうなぁ、と、今まで自分が書いたものを思い返してふと思う。どれもこれも、現実に対してノーを言いつつも、現実的な希望や打開策、あるいはそれを希求する心すら描いていない。現実に対してベロを出して、俺だけはそうなるまい、お前らもそうならないでくれよ、と目配せするだけで、声らしい声はあげていない。

もはや現代においてテーマやメッセージ性を持った作品というのは死んだんだろう、とも思う。だがしかし、そういうのを誰かが書いたり読んだりしないといかんだろう、とも思う。それは、つい最近『三人姉妹』を読み返していて思ったことだ。チェーホフが嫌いになれない一つの理由に、しっかりと現実の辛酸、人生の悲惨を嘗め尽くしておきながら、それでも人は変われるとマジで声を張り上げているところにある。ガタガタに破壊し尽くされる夢や古きよき時代、愛や理想を描いておきながら、同時に希望を描いているところ、そこは好きだな。

俺は多分、ロックンローラーか中学校の先生になりたかったんだが、その道を選ばなかった、あるいは選べなかったがために、演劇を通してロックンローラーと中学校の先生をやろうとしているのだろう。ロックンローラーと言ってもGLAYとかサンボマスターとかじゃないよ。ジャニス・ジョップリンかジョン・レノンかベンジーかボブ・ディランか、その辺だな。中学校の先生と言っても痴呆公務員じゃないよ。概念としての中学校教師だ。

元教師でロックンローラーの男と言えばB'zの稲葉がいるが、このことを思い出すとどこまでも気分がガッカリするので忘れておく。B'zは遠慮したい。俺の耳には彼らの音楽はもうギャグとしてしか面白くない。

というようなベクトル(方向と大きさ)を持った飲み会とかをしたいが、そういう人は大抵痛い人ばかりなので出来ないよなぁ、と思う、こんなところにもニヒリズムが。死に至る病、なんて言い回しがあったけれど、じゃあ俺はニーチェを読む前にキルケゴールを読むべきかしら。二冊くらいしか読んでねぇや。