PLAYNOTE ロミジュリ4幕の場転に関するメモ

2007年12月01日

ロミジュリ4幕の場転に関するメモ

[演劇メモ] 2007/12/01 03:00
オランダ人観光客による白鳥座のスケッチ(1596)

場転=場面転換の略。演劇において、シーンが別の場所へ移るとき、人物や道具の配置を変えるために行うもの。通常、暗転、見せ転、ブル転などで処理されるほか、素舞台なら明かりの変化や単純に俳優の演技によっても可能とされるが、ぶっちゃけ、難しい。

シェイクスピア『ロミオとジュリエット』を読んでいたら、シェイクスピアがあまりに見事な場転をやっていたのでメモしておく。

当時の劇場環境

シェイクスピアの当時は照明なんかなかったから、吹き抜けになっている天井から降り注ぐ自然光で芝居をするしかなかった。なので、当時のシェイクスピアの芝居には絶対に暗転がない。技術的に不可能だから。

そのため、次のシーンに出て来た役者が、最初の方で時刻や場所に関する言及をする場合がすごく多い。間抜けに見えるが、スピーディーに場面転換するので劇の進行を損ねないし、実は全然間抜けでも何でもない。逆に、エリザベス朝時代の人々が現代劇や映画を見たら失笑するかもしれない。

「え? 停電でもないのに何で明かり消えたの?」(暗転する演劇の場合)
「おい、何で途中で切るんだよ。つか、次出て来たこいつ誰?」(映画やTVでカットが切り替わった直後)

暗転もカット・チェンジも「お約束ごと」だが、誰も不思議に思わないのと同じで、ただ人がハケるのと入れ替わりで人が入る、そういう「お約束ごと」も、ちっとも不思議ではないというわけ。

劇場の構造

この記事の冒頭に白黒の劇場の絵を置いた。1596年にイギリスを旅した、Canon Johannes De Wittという学者だか医者だかが書き残した『白鳥座』という劇場のスケッチである。シェイクスピアの時代の劇場を描いたスケッチやイラストは実はこの一枚を除いて他に存在しない。畢竟、こいつが当時の劇場構造を知る最大の手掛かりになる。

当時の劇場は三つのエリアに分かれていた。便宜的に名前を付ける。

  • 前舞台 … 客席に大きく突き出した、四角いエリア。
  • 奥舞台 … 前舞台の奥にあるドアの向こう。実際には
  • 上舞台 … 屋根の上、二階。

『白鳥座』のスケッチでは奥舞台が確認できないが、恐らくそういうもんがあったんだろうと推測される。スケッチでは小さな扉になっているところが大きく開き、部屋のようなスペースが客席から見えた。詳しくはものの本かネットでも読んでくれ。

『ロミオとジュリエット』4幕の場面展開

そういう制約があったのが16世紀当時のエリザベス朝演劇なのだが、シェイクスピアはそれを逆手にとって、実にスピーディーかつ効果的な場転をしているので紹介する。

まずシーンを整理しよう。

  • 4幕2場 … キャピュレット家の一室、あるいは廊下。前舞台。
  • 4幕3場 … ジュリエットの寝室。奥舞台。
  • 4幕4場 … キャピュレット家の一室、あるいは廊下(台所か?)。前舞台。
  • 4幕5場・前半 … ジュリエットの寝室。奥舞台。
  • 4幕5場・後半 … キャピュレット家の一室、あるいは庭。前舞台。

前舞台とか奥舞台とかは推測。だが、こうとしか考えられない。なぜなら、4幕3場、および4幕5場・前半では、ジュリエットのベッドが必要になるはずだが(それくらいの道具類は使ったらしい)、いくら舞台用のベッドとはいえ、普通に「場転」したら30秒はかかるだろう。4幕と言えばジュリエットが薬を飲むかどうかで揺れる重要なシーン。無駄な間は欲しくない。

上に書いたように前舞台・奥舞台を設定すると、見事にこの問題が解決される。場面の場所を見ていくと、「キャピュレット家の一室」と「ジュリエットの寝室」がちょうど交互に来ているのがわかるだろう。これにあわせて前舞台と奥舞台を使い分けていくとどうなるか。奥舞台のドアだかカーテンだかの奥にジュリエットのベッドを置いておけば、場転のたびにカーテンを閉めたり開けたりする、それだけで転換が可能になるからだ。

4幕4場は何故あるか?

台本を読めばわかることだが、4幕4場とかマジ必要ない。明日の結婚に備えて、料理人とジュリエットの両親がわいわいがやがや、パイを焼けとか薪持って来いとか言ってるだけで、完全なコメディ・シーン。ついさっきの4幕3場では、ジュリエットが悲痛な決心のもと薬を飲んでベッドに倒れ込んだ直後。普通に考えたら、このまま4幕5場、血の気の引いたジュリエットを乳母が発見するシーンに飛んでもよさそうなものだが。少なくとも、プロセニアムで上演するなら、まず真っ先にカット候補にあがるシーンだろう。

だが、上に述べた奥舞台・前舞台の使い分けを考えると、実に効果的、悲劇的アイロニーに満ちた演出であったことがわかる。観客は、カーテンあるいはドアの一枚向こうで、ジュリエットが倒れていることを知っている。薬を飲む直前のジュリエットの長いモノローグには、薬を飲んだらこのまま死んでしまうのではないか、とか、効き目がなかったら自ら命を絶とう、とか、死を暗示するものが大変多い。展開を知らない観客は、最悪の事態をも想像している。そして、観客は、薬の効き目いかんによらず、ベッドに倒れ伏しているジュリエットの姿を発見したときの、乳母や両親の悲痛については十分想像がつくはずだ。最愛の娘を失って、子煩悩な両親と乳母がどれほど悲しむか。にも関わらず、ジュリエットが倒れ伏しているカーテンあるいはドアの一枚こちら側では、両親と乳母達が上へ下への大騒ぎをしながら、ただただ結婚を喜んでいる。

そして、4幕5場へシームレスに場面は続く。今までわいのわいのやっていた乳母が、るんるん気分でカーテンを引くと、そこには血を失ったジュリエットの姿が、というわけ。

うまい。実に巧みで、あざといくらいだ。自分も演出する上で、シーンとシーンを重ねる、とか、観客の目からは見えて登場人物には見えない、とか、そういう効果を狙うことはよくある。そういうのが上手く行くとちょっと調子に乗ったりする。が、400年も前にやられてたんじゃあ、鼻を高くしている場合ではない。

なんでこんなメモ書いたかと言うと

今日ちょうどCoTiKの稽古でそういう話をしたから。ほとんどすべて角川文庫版『ロミオとジュリエット』(三神勲訳)のパクりです。

今日、当該シーンの読み合わせをしながら、上に書いたような演出効果を書いていたら、あらためてシェイクスピアが憎たらしくなった。ここまでスマートに構成されていたら、演出家の仕事を奪うぞ。

が、そこは自分も意地なので、この発想をそのまま活かし、もう一歩押し進めた演出ができればいーな、と風呂でもくもく考えていたら、どうやらそれが出来そうなので、やる。DCPOPでしょっちゅうやってるレイヤード・シーン(俺が勝手に命名)の手法をこれに重ねれば、より悲劇的アイロニーは強まるはず。おお、何かシェイクスピアとアイディア出し合ってやってるようで楽しいな。

以上。

コメント

投稿者:りゅーせ (2007年12月01日 11:00)

某有名プロデューサーが、
「シェイクスピアの戯曲には無駄な箇所が一つもない」
って言っていたことを思い出しました。