PLAYNOTE 日本橋学館大学・芸術セミナー『諸芸術に見られる演技』

2007年11月11日

日本橋学館大学・芸術セミナー『諸芸術に見られる演技』

[演劇メモ] 2007/11/11 00:21

明治大学で西洋演劇史の教鞭をとっておられた井上優先生が、俺の地元・柏で演劇に関するセミナーをやるっつうからのこのこ足を運んで来た。大学のサイトに記載されていた「柏駅より徒歩20分」ってのを信じたらえらい目にあった(30分以上はかかったぞ)が、久々に演劇学的に知的好奇心をそそられる時間を味わえた。

このセミナーのオーガナイザーにして発表のトップバッターであった井上先生は、舞台俳優を題材にした映画についてお話。映画詳しいものだなぁ。

「どちらの作品も、俳優の演技特有の「危うさ」を題材としている点で共通している。演技とは日常生活と同じく生身の人間を題材とし、日常生活との連続の上に成り立つもの

であるからこそ、映画の題材として、映画俳優が描かれることより、舞台俳優が描かれることの方が多いのでは、という試論。ここからもう一歩突っ込んで話が広がると面白い、というところでカット。残念。

続いての方の講義はよくセミナー主題との関連がつかめずにぼんやりしたのだが、続くムサビの今岡謙太郎教授による芝居絵の講義がまたえらい面白かった。でもこれは歌舞伎の歴史に興味がないとそこまでは楽しめないかも。続く安田比呂志准教授による『ベル版』シェイクスピアの挿絵の講義もまたえらい面白かった。

バカみたいに面白い、面白いと書いているが、俺は元々演劇学の子供なので、こういう話題が好きなのだろう。正直に言って、一つ一つの発表がややばらばらで、「諸芸術に見られる演技」という掲げ方、つまり、他の芸術分野において見られる演技の在り方を見ることによって、逆に演技というものの特質が浮かび上がってくるのではないか、というセミナーの共通テーマとでも言うべきものへの追求は弱かったと思う。だがそれもやむなし。このテーマ、非常に興味深く、かつ、何というか、閉塞状況に追い込まれ、過去の理屈の焼き直しか、トンデモ理論ばかりが頻出している感のある「演技論」というものを考える上で、急がば回れ的に意義ありげなルートの取り方だと思うのだが、でもこれをきちんきちんと検討するには、こういうセミナーを月イチでやったとしても少なくとも一年は続けないと具体的な何かは掴めないのだと思う。

おそらく演技という表現が他の表現と比べて特殊であるのは、「身体を楽器として演奏する」とスタニスラフスキーが言ったように、自分自身が素材であることがまず真っ先に検討されるべき論点なのだと思う。画家だって音楽家だって自分自身が素材という点では変わらないのだろうけれど、彼らが表現にあたって変質させるのは画布や空気であり、一方、俳優は、表現のために自分自身の心身を変質する。画家や音楽家にもトランス状態に陥りながら表現をする人間もいるだろうが、一般的には自意識を保っている場合がほとんどだろう。演技においては、自己をある程度投げ捨てるというか、…長くなりそうなのでこの辺で打ち止めにする。ここんとこスタニスラフスキーとマイズナーおよびアクターズスタジオの系譜でしか演劇論の書物を読んでいないから、発言するには不適格だろうし。

しかし、久々にアカデミックな演劇の会話を傾聴したので、脳が活性化したし、改めて学問というもの、そして研究者というもののとんでもなさを思い知った。和音の理論を学ばずに音楽をやる人間がいないのに、一冊の本も開かず何のワークショップにも演劇学校にも通わず演劇をやっている人間がごまんといるのはどういうことだ? そういうことだから、日本はこういうことなのだ。

ちょっと日本橋学館大学は遠いので、毎月アミュゼ柏あたりでやってくれないかしら(笑)。多分ぜんぜん客足はないだろうけど、俺は行きます。

コメント

投稿者:なお (2007年11月11日 01:57)

ぅむ(>_<)
今岡先生の授業とってましたよ。パフォーマンス研究。明大でも教鞭とられてました。おもしろかったよ。

投稿者:Kenichi Tani (2007年11月11日 14:57)

あぁ、明大でも教えていたんだ。俺のときはなかったな。あの先生の講義はすごく受けてみたい。