PLAYNOTE ジャム芝居、終了

2007年10月18日

ジャム芝居、終了

[公演活動] 2007/10/18 23:15

DULL-COLORED POP vol.5『Caesiumberry Jam』、終了しました。

とりあえずmixiに書いた昨夜の日記をそのまま転載。

器物損壊で警察にしょっぴかれたり、借金が30万増えたり、舞台監督をクビにしたり、内臓が弱って荷降ろしだけで四回も嘔吐したり、大入で激昂してムードをまるきり全てぶち壊したり、某所の守衛にとっつかまったり、膨大な人にややこしい未消化な感覚を残したり、と、いろんなことがありましたが、無事ジャム芝居が終了しました。無事と書いたが無事ではないな。

今回当パンに「It's better to burn out than to fade away.」と、カート・コバーンの遺書からの一節を引きました。不退転と焼け糞の中間のような感情に身も心も焦がしながらゲロゲロ毎日嘔吐して(煙草をやめた方がいい)迎えた本番。ゲネで、「よし、もらった」と思ったけれど、そうそう甘いものではありませんね。

また詳しい述懐はPLAYNOTEに書こうと思いますが、どうやらDCPOP初の500人超えだったようです。俺は初回から今まで、すべての動員数を覚えているのだけれど、本公演だけピックアップすると278→304→410→370→たぶん500ちょいと、すっげーノロノロしくではあるものの、観てくれる人は増えている模様。うーん。悩みどころです。

あと何かCoRichっつーとこの注目公演No.1に選ばれたみたいですが(16日深夜時点)、今回ほど評判の気にならない芝居もなかったな。高圧的で独善的な自分なのだが、臆病に物を書き続けて来て、ここ最近に来てようやく、どうでもいいぜそんな事柄と何か開き直れた結果、少しずつ「書く」ということに対して腹が据わって来た気がします。

本当はmixiの日記更新する前にお世話になった方々や観に来てくれたお客さんに感謝のメールを送るべきなのでしょうが、嘔吐が止まらないのでもう寝ます。原因は、土ぼこりではなく、単に酒と煙草のやり過ぎです。

脚本について

方々から、そして尊敬する某役者や某照明家、関与者一同から様々な賛辞を頂き、満足と戸惑いを覚えています。自己採点するなら55点というところか。未だに自分は、『ラパン・アジルと白の時代』を超える本が書けていない気がする。

今回の本は、『ラパン・アジルと~』的な独白の使い方、時代のぶっ飛び方と、『蕎麦屋』的なゆるゆる散文体口調と、『ベツレヘム』的な多重レイヤー構造的なシーンの重ね方、と、DCPOPの集大成的なやり方で書かれています。題材としても、数年間頭に引っ掛かっていた、広河隆一氏の撮った一枚の写真と、チェルノブイリの子供たちが描いた朗らかに絶望した水彩画に触発されて、濃密なものを扱ったおかげで、書きやすくはなかったものの、書くことに窮乏はしなかった。いくらでも書けたな。長いという指摘もいくつかあったけど、六時間の尺でもまだ足りないくらい、書ける素材はごろごろ転がっていた。

『ゴドーを待ちながら』を組み込んだ趣向は、三割が好意的で、二割が否定的で、残りの五割が「ゴドーって何?」みたいなリアクションだったものの、他にこの芝居の落としどころはあり得なかったという意味で、必然的なものであったと思う。個人的な解釈では、『ゴドー』の意味は、「待つ」という行為(行為と言うより状態か?)の裏側にある、「どこにも行けない」という閉塞感にあると思うのだけれど、そういう意味で、移住すらできない村人たちも、何一つ救いの手を差し伸べられない地区委員の男も、カメラマンも、どこにも行けない。生き延びたクリニカですら、どこにも行けない。そういう状態で、人間の個性は死滅するんだよねぇ。

台本ギャグが割と受けたのはよかったけど、タカオス先輩や麻美をはじめとする出演者のアイディアには随分助けられました。あと、猫を出して良かった。

演出について

明らかに得意分野と不得意分野がはっきりして来たと思う。羅列されたシーンを構成したり、音や光や映像を組み合わせたりということには満足が行ったが、肝心かなめの俳優演出に関して、もうズロズロに疲れた。

映像について

萩原かやのが天才であることが証明された格好だが、どう贔屓目に見ても映像が入るシーンは過去DCPOP内でも出色の出来栄え。インパクトという点においても、ムードという点においても、意味性においてもかやのちゃんナイス過ぎた。映像をバックにカメラマンが動き、フラッシュを炊くところは、初めて観たとき自分が一番バビったね。

照明について

鬼才・松本大介@enjin-lightの一人勝ちであった。通しを一回観た時点で、役者の誰よりも、あるいは作・演出である俺よりも作品の空気や意味を理解していた感があるのは恐ろしい。12名が出演するには手狭であると言わざるを得ないアリスにおいて、空間を切り取るばかりか、遠大に続く原野の広がりまで感じさせたり、電気の止まった村におけるランプのぬくもりまで感じさせたり。御託云々はどうでもよくて、単純に美しく、無味乾燥なセットと衣裳にしっかりと色を着ける明かりであった。照明以外のことでも常々大介さんには叱咤激励頂戴し、今回の現場で一番忘れられない顔になった。実際、千秋楽翌日の夢に出て来て、また怒られた。

音響について

過去のDCPOPの例に漏れず、選曲は自分なのだが、今回はモーツァルトの管弦楽オンリー。通しで流してみたときには、これはちょっと壮大過ぎて芝居が食われる、と思ったものだけど、結果的にはばっちりだったな。

編集・SE・オペレーションおよび数多のアドバイスは、二度目の付き合いとなった長谷川ふな蔵氏。あの強行スケジュールの中で、ギリギリまで俺の満足行く音を選ぶ時間を作ってくれたことは、プロフェッショナルだからとか仕事だからとかではなしに、ずっと DULL-COLORED POP の作品を愛し続けてくれて来たふな蔵さんとの絆の深さを感じる。ちょぴっとイメージを伝えただけで、自在に編集し自在に手心を加え、イメージを上回る格好で音を出す辺りは、以心伝心と言っても過言ではないニャー。

出演者について

過去最大、ゲスト含めると15名の出演者陣。一人一人については到底書き切れないが、半分だけ書くとかいうのもフェアじゃないので何も触れずに終わりにしたい。

でも劇団員とゲストのことだけ書こうと思う。清水那保は久々の子役ながら、しかも五歳児という無茶苦茶な年齢設定ながら、十分に説得力のある芝居であった。アムカ・うにか・クリニカと来て、しかし前二人の発揮した少女エキセントリックな言動のない役であったにも関わらず、しっかと魔力的な瞳の輝きと心の揺れが伝わった。堀奈津美は周りが何と言おうと俺の作品の中核人物であり、他の選択肢はあり得ない。今回一番難しいなぁと思っていた、村の生活感、静かにとうとうと流れる日々の重さのようなものは、ナターシャ抜きでは描き得なかったわけで。清水那保がフォワードなら堀奈津美はディフェンダーとして、今回のDCPOPではしっかり中核を握っていたと思う。印象という意味ではゲストやリューダが強かったとしても、この二人に尽きる。

ゲスト初日、玉置玲央氏は、さすがのセンスとさすがの経験値を誇示する華麗なぶち壊しっぷりとどっしりした安定感が◎。おちゃらけつつも誠実な人柄も相俟って、彼には随分救われた。実に演劇的な演技ができる逸材。二日目の富所浩一氏は、俺の中ではベストワーシャ。実力はもとより、脚本的な意図を汲み取る力が半端ない。いつの間にやらよく一緒にやる仲になったが、彼は自分の良き理解者となりつつある。三日目の猫道氏は、超満員のステージに気圧されることなく己の芸道を突っ走る、ゲストならではの爆走感溢れるプレイ。確信を持って芝居をしているあの確固たるスタンスが、異質とも言えるプレイに説得力を与えており、最後は結局役者力なのだよなぁとしみじみ。四日目の吉田ミサイル氏は、稽古日数が一番少ないにも関わらず、あっさりと自分の本と周囲の演技を吸い込んでは放ち返す様に、何と言うか自分との力量差をまざまざと感じさせられた。彼にはずっとDCPOPに出て欲しいと思い続けていたのだが、まだまだ彼のような原水爆役者を起用するだけの深みと勢いが自分の作品には足りないなと、嬉しい落胆を味わったりもして。

その他

いろんな意味で転機となる芝居でございました。何より、今までで一番くたびれた。なので、あまり述懐はしたくない。作品的に満足できるだけのものが出せたことだけが救いだが、満身創痍。このまま勢いだけで走り続けるのは無理なので、抜本的にいろいろ変えていかなくてはならないなぁと痛感する。

とにもかくにも、ご来場頂き誠にありがとうございました。観てもらえて本当によかった。過去DCPOPの最高傑作でした。

感想リンクなど

発見した順とかで。

コメント

投稿者: (2009年01月13日 14:30)

278→304→410→370→515→649→843