PLAYNOTE 『Proof』、訳者あとがき

2007年08月09日

『Proof』、訳者あとがき

公演活動, 22:00

David Auburn "Proof" の紹介。

おやつの時間堂用台本の訳者あとがきとして書いたもの。記録のために。

訳者あとがき

 『プルーフ/証明』の作者、デヴィッド・オーバーンは、一九六九年アメリカはシカゴに生まれたまだ若い劇作家です。本作品はオフ・ブロードウェイでのヒットをきっかけにブロードウェイに引っ張り上げられ、トニー賞やピューリッツァー賞を始めとした演劇賞を四つもかっさらった後、そのままアメリカ全国を旅公演して文字通りドル箱の山を築きました。それまで、デヴィット・マメットとの共同作業などで多少名は知れていたにせよ、ほとんど無名に近かった三十そこそこの若者の作品が、です。まさに演劇におけるアメリカン・ドリーム。アメリカやイギリスではこういうことが頻繁に起きるから驚きます。プロデューサーが大きな権限を持ち、そして時として大胆にして果敢な判断を下すからこそ可能なことです。余談ですが、オーバーンはジュリアード音楽院で劇作を学ぶ傍ら、化学薬品会社でカーペット用洗剤のキャッチコピーを書いて学費を捻出していたようです。彼の才能は遅かれ早かれ発見されていたでしょうが、もし彼が日本で劇作をしていたら、あと数年は洗剤のコピーを書いて暮らしていたかもしれません。

 この『プルーフ/証明』は、一読して頂ければわかる通り、数学と精神疾患という全くコマーシャルでもポップでもない題材を扱いながら、そのウェルメイドな展開と非常にソリッドな自然主義的形式によって、まるで親戚か友人の実話でも聞くようなリアリティを身にしみて感じられる快作です。極めてカジュアルな会話の中に散りばめられた詩的な言い回しは、庭に舞い降りた小鳥を見たときに感じるような生活感のある美しさを作品に与えています。また、劇全体を通して熟読したときに初めて気がつく単語やイメージの巧妙な関連性は、時に皮肉に、時にハートウォーミングに読者の心を打ちます。

 俳優によって演じられるための戯曲として見たときには、人間的な軋轢をまといつつも頑として堅固な貫通行動を持った人物造形に、演じ手は大きな意欲をそそられるのではないでしょうか。物語は、シンプルであればあるほど美しい。そのシンプルな美しさを持ちながらも、人としての動揺、誤解、不和を見事に織り込んだこの戯曲は、大掛かりなセットや効果の力を借りずとも、俳優の力だけですべてを表現し得るものであるという至福の可能性を持つと共に、演じ手にとっては逃げ隠れのできない、裸一貫、身一つで挑まざるを得ない難敵でもあります。しかし、だからこそ恐らく、そのすべてが舞台に結実し、一つの有機体として成立したときに観客席を襲う感動は、ミニマルでありながら底知れぬ遠大さを持つものとなるでしょう。

 日本ではすでにひょうご舞台芸術によって二度の上演例があります。翻訳は小田島恒志先生です。キャサリンを演じた寺島しのぶ氏と、クレアを演じた秋山菜津子氏は、本作品および他の出演作での好演を評価され、読売演劇大賞・女優賞を受賞されています。

 今回の訳にあたっては、時間堂公演『おやつの時間堂』の準備段階において、既存の小田島恒志先生による訳本が手に入らなかったために私が手掛けることになり、一応の訳出を終えた後、遅れて手に入った小田島版を参照しつつ若干の加筆修正を加えて完成と相成りました。翻訳に際しては、英語から日本語に翻訳する歳に発生する会話のテンポダウン、それを極力減らすことと、原文が持つカジュアルな散文会話劇というスタイルを自分なりの現代日本語で再現することに最も気を配りました。私にとって初の本格的な翻訳となる作品がこの『プルーフ/証明』であったことに、大きな喜びと若干の不安を感じています。しかし、初の翻訳に戸惑い力み過ぎていた自分に、鋭利かつ温かな助言を与えて下さった時間堂の黒澤世莉氏、および草稿を読み合わせることで文字が台詞に変わる瞬間を見せて下さったあひるなんちゃらの根津茂尚氏、DULL-COLORED POPの清水那保氏、柿喰う客の玉置玲央氏、InnocentSphereの足立由夏氏のおかげで、何とか完訳を見ることができました。この場を借りて改めて感謝の意を捧げたいと思います。

 拙文、拙訳ではありますが、私の筆が、読者・観客の方々にこのデヴィット・オーバーンの記念碑的な作品の素晴らしさを伝えるための橋となることができれば幸いです。

 とかさ、こういうの、こういう風に書いとくと、俺すげー翻訳者っぽくね? げらげら、ファッキン・サノバビッチ! 世莉さん&ステキ俳優の皆様、大変だろうけど頑張ってねー。改訳やテキレジはいくらでもどうぞ。俺は何も怒らないので、デヴィッドのことだけ考えてやって下さい。あいつ、ああ見えて実はナイーブな奴だからさ。男はいつまでたっても赤ん坊さ。刻まれる皺と破れた恋の数だけ虚勢を張るのがうまくなる、大宇宙銀河系の小さな塵ってわけなのさ。覆水盆に返らず、「冒険の書は消えてしまいました」。チャオ!

二〇〇七年七月吉日 谷賢一

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