PLAYNOTE 桜井亜美『イノセントワールド』

2007年07月25日

桜井亜美『イノセントワールド』

[読書] 2007/07/25 16:54

著者のデビュー作。この人、どうやってデビューしたんだろ? エピローグに当たる文章では「ミヤダイ」なる人物に薦められて自分のことを小説にすることにした、とあるが、実際に出版を勧めたのは宮台真司だったみたいだし、小説のカバーデザインは今をときめく蜷川実花。随分恵まれたデビュー作だよね。

しかし才能は本物である。

本編わずか200ページちょい、しかも、表紙をめくると文字のでかさに驚く。あっという間、一時間と少しで読了。短い。

が、一文一文の密度が実に高い。過剰でバブリーな、極めて平成的な印象すら受ける。文学的な素養とか感受性の豊かさ、想像力、それらは紛れもなく一級だろうが、そいつが平成という時代のフィルターを通して文字化・結晶化すると、こういうものができるのだろうか。

物語としての要素の過剰さは、この作家の生来的な特質であるのかもしれないが、それ以上に、自分のメンタルやアイデンティティに極めて敏感で分析的であるように見えながら、その実何もわかっていない少女が人生の舵をとったとき、過剰で刺激的で全くデタラメな組み合わせの物に自分を溺れさせていく、という姿を描き出すのに一役買っている。また、小説としても、スピーディーで視覚的なものが好まれる現代に、路地裏の電灯の描写をねちねちしているようなものはウケないだろう。これほど比喩や心理描写においてねちっこく執拗でありながら、物語としてのスピード感を生んでいるのは、折れ線グラフにしたら鋭角ギリギリの無数のジグザグを刻むような過剰の連続があってこそである。

うーむ。セックスや麻薬、あと離人感なんかについての記述が実に上手い。触覚のある文章とでも言えばいいのだろうか。このため、近親相姦・援助交際・レイプと、まぁセックスのオンパレードみたいなプロットであるにも関わらず、すべてが肉感的な印象を通して描かれているから(それは官能小説的な意味ではなく、心理描写が肉感的であるということであるが)空疎にならない、その虚しさが伝わって来る。もう十年も前の作品だが、時代というのは変わらないなと思う。現代的な作品であるとはもう呼べなくなっている気がするのだが(特に女子高生や若者の精神の在り様において)、根底にある時代の空虚さ、そもそも破綻から始まっている家庭が生み出す若者たちの他者関係における不器用さ、大人って汚いとか言い出すことすらカッコ悪いほど絶望的で、「イノセンス」の発露として過剰かつ異常な行動に身を汚す少女らの心理とか(巻末の宮台真司氏による解説を参照のこと)、形を変えつつも今と同じ気がする。

読み終えてみるとあまりのスピード感にもう内容を忘れつつあるし、半年経ったらもう何も残ってない気がする。でもまぁそれでいいんじゃねぇの? と思わせるものがある。それはきっと、主人公のアミにとってもこれらの出来事は書き止めておかなければフェードアウトしていってしまう自分として記録不可能なものであるだろうから。思い出したくなったらこの本を手に取ればいい。