PLAYNOTE 笑いについて徒然

2007年07月25日

笑いについて徒然

[雑記・メモ] 2007/07/25 06:27

笑いについて考えた、ってときに、今さらベルクソン引っ張り出してくる人もいないかもだけど、一度は読んでみたいなぁ。でも自分は別にコメディを書きたいわけではないので、ウェブページで済ませてしまう。最近、笑いについて考えさせられたウェブページをちょいちょい紹介。

Uncyclopedia:馬鹿にならずにバカバカしくやる方法 - アンサイクロペディア

まずは不条理ギャグの集合知・アンサイクロペディアより。これは一見の価値あり。笑いについて、というより、文章作法についても結構ためになる部分あり。

いくつか引用。

「通常、事実はナンセンスよりも愉快である。もっとも愉快なページとは、もっとも事実に近いページである」

笑いはシェーマ(構図)のズレであるとされる。これはWikipediaにすごいわかりやすい文章があるので引用しとく。

笑いは構図(シェーマ)のずれであると考えられている。例えばコントなどで滑って転ぶ政治家が演じられて笑いが起きたとすると、「政治家は真面目で威厳ある人で、滑って転ぶことなどありえない」という構図を受け手が持っていて、それがずらされたことによって笑いが起きたことになる。しかし受け手の常識が「政治家に威厳があるとは限らない」「滑って転ぶことは意外な出来事ではない」「政治家が転ぶというネタは目新しいものではない」などを含むものだった場合、構図のずれが発生しないため笑いは起きない。同じ出来事に対して笑いが起きるかどうかは受け手の持つ構図に依存すると言える。

「笑いと恐怖は紙一重」とは、俺の友人・岩藤一成の至言だが(一成が言ってただけで誰かの引用かも)、「シェーマのずれ」が笑いに行くか、不条理な恐怖を誘うかは結構やっぱり紙一重な感じが。

で、「通常、事実はナンセンスよりも愉快である。もっとも愉快なページとは、もっとも事実に近いページである」に戻ると、その意味がよりはっきりわかるでしょう。

次。

「削れ、削れ、削れ。」

見てもらうのが一番早いんだけど、要は小説や評論において推敲および編集・校正が必要なのと全く同じ理由から、アンサイクロペディアみたいなふざけたジョークサイトでも「削れ」を推奨しているのにはちょっと涙が出た。そうか、そこまで真剣に馬鹿をやろうとしているのか、と。

落ち - Wikipedia

続いてWikipediaより「オチ」について。落語の落ちの十分類に「へーっ」って気分になる。

笑い - Wikipedia

Wikipedia「笑い」について。後半の、哲学者が考えた笑いの分析んとこは単純に知的好奇心を刺激されて面白いが、実際にお笑いやってる奴はどういう風に考えてるんだろ。意外とみんなオリジナルに我が道を行っていても、最終的には結構近いとこに収束していくような気はしているけど。

笑いがシェーマのずれであると規定した場合、大抵のお笑い芸人の寿命が短いことも何となくわかる。当初はズレであった芸が、徐々に典型化していくと、次第にそれはシェーマのずれという意味合いを失う。もちろん、「まだやるか」「また来た!」「お約束」みたいな意味でのシェーマのずれはあるだろうが。

たけしなんかは別に芸風新しくなってないのに未だに面白い謎な芸人。ダウンタウンは芸風を刷新し続けている気がする。最近俺が気に入ってる劇団ひとり(ライブの模様とかがYouTubeとかで見れるよ)なんかは、斬新とか奇抜というより、演技や構成のクオリティが半端なく高くて、それによって説得力を生んでいるがゆえの面白さ、というのが強いんではないかしら。たまにどシュールでびびるネタもあったりするが、基本的には作り込みのレベルの高さ。ラーメンズはどう評していいんだかわかんない。最近の作品見てないし。爆笑問題は割とオーソドックスなコントやるよね。太田の天才性ばっかり取り沙汰されるけど、田中が良い仕事しているのをもっとみんな気づくべきだ。太田一人だと破綻オンリーの世界になるが、田中がきちんとゆり戻しをかけて、次の破綻の前に世界を崩壊する前のシェーマに戻してくれる。

着地点などない。ブログなので勝手気ままに書きたいだけだ。