PLAYNOTE 宮崎駿監督『魔女の宅急便』

2007年07月13日

宮崎駿監督『魔女の宅急便』

[映画・美術など] 2007/07/13 23:36

ああどうせ金曜ロードショーだよ、悪いか!

風呂入ろうと思ったらやってたんだ。俺はジブリは嫌いと公言して憚らないんだが、空を舞う鳥の描写があまりにも美しかったもんだから、妹に風呂の順番譲って見てたんだよ。麦茶飲みながら、親父の煙草をくすねながら。あぁそうだよ結局最後まで見たよ。そしてボロボロ泣いたよ。いい作品じゃないか!

見初めてすぐキャッチコピーを思い出した。ジブリ作品のキャッチコピーはすべて糸井重里が書いている。こないだ糸井重里について調べたので、覚えてたんだ。

「落ち込んだりもしたけれど、私は元気です」

もうこの一行で泣きそう、と思った。今日の俺はどうかしてる。

途中何度も涙腺が緩んだが、涙をこぼして泣いたのは、まずパイを焼いてたババア。白髪の。あいつ、わざわざ自宅までキキを呼び出しやがって、何事かと思ったら安っぽいケーキ一個差し出して、オイそれだけかよって言う。どうせ自分で焼いたんだろ。そこでババアが一言。

「それをキキという人に渡して欲しいの」

泣いたね。もう、あなたの孫になりたいと思ったよ。奴婢でもいい。毎日お前のオーブンの掃除するよ。静かな余生、心の洗濯のお手伝いをするよ。ババア。大好きだ。

この前にもぐっと来るポイントはいっぱいあったんだよな。ウルスラという絵描きが、絵を描くことのつらさを語るシーン。あれ高山みなみが一人二役だってな。すごいな。内容も、「おい、ウルスラ、それは俺に向かって言ってるのか??」と思うほど俺の心のストライクゾーン。
「描けないときは、じたばたするしかないよ。それでもダメなら、やめる」
わかるぜ、さらっと言ってるけどお前、一体何枚のシーツを涙で駄目にした。秋の夕日や夏の紺碧の空が憎らしくてタイラント(『バイオハザード』より)みたいな気持ちになっただろう。

前述のババアのパイをパーティー会場に持ってったところも胸が痛くてたまらない。
「私このパイ嫌いなんだよね」
悪魔なので許さない。

古い蛇口とおんなじで、一度緩んだ涙腺はもう止まらない。「それをキキという人に」の直後、そのババアからさらに「ばあさん」と呼ばれている愉快な老人がテレビを見ている。テレビの中では飛行船事故。ばあさんニヤニヤしており宮崎駿のシニカルな描写力に舌を巻く。と、飛行船のへさきから伸びたロープにトンボがぶら下がっているではないか! そこでキキが一言。

「あの子私の友達なの」

泣いたね。キキ、喧嘩してたじゃん、トンボと。なのに「友達なの」、そんな迷い一つなくスッと言われたら、俺もうおかしくなっちゃうよ。誰か涙を止めてよ。空梅雨の予想を裏切って関東平野に洪水が来るよ。すべてジブリのせいだ。ジブリが東京を水没させたんだ、ジブリ、ジブリ、ジブリのせいだ。

そして走り出すキキ。マリオに似た恰幅のいい親父からデッキブラシをゲット。飛べなかったはずだろう、キキ? 何をそんなに必死になって、ふん、頑張ったってどうせ、

泣いたね。「がんばれ、がんばれキキ」ってマジで言ってた。心の中で、だけど、きっとキキには聴こえていたよ。

段々気持ち悪くなって来たな、この文体。もうやめよう。あとはもうウルウルしてただけだし。

* * *

少し頭を冷静に戻すと、ストーリーラインとしては平凡限りないこの物語。もっとよくできた話なんか、本屋でもテレビでもいくらでも転がってるだろう。

スーザン・ソンタグはその著書『反解釈』において、「内容よりも手法・表現にこそ芸術の価値がある」という芸術論を唱えて、西洋に聖書以来続く「解釈の歴史」に足蹴を食らわせようと試みた。自分は全く彼女の論旨に賛成である。芸術を芸術たらしめているものは、内容ではなく、そのやり方、描き方だ。

(無論、内容と表現という二つを切り離して考えることは出来ないが、この辺は『反解釈』に詳述されているのでそちらを参照されたし)

さてソンタグを『魔女宅』に適用して考える、という、的外れかつ駄洒落めいた試みの先にあるのは、あの憧憬を誘う美しい世界観(古き良きヨーロッパと現代文明の融和、魔女とハイテクの同居、魔女裁判や童話など物語とイメージの遺産のリミックス、など)と、演出の巧みさ、そして言わずもがなだがアニメーション自体のクオリティの高さこそ、『魔女宅』を名作たらしめている所以である、ということだ。

人間は何か外部からの情報に接するとき、大抵が防御的な姿勢から始める。それを切り崩さなければ、笑いも涙も生まれ得ない。よくある「ふーん」な映画とかドラマとかみたいなことになる。つまり、感情移入や前のめりの姿勢で見ることができなくなってしまうのだ。それの防壁を切り崩すために必要なのは、実はストーリーの内容ではない。その展開のさせ方、見せ方、映像化の仕方、演出の仕方、音や色、声、そういったものなのだ。

しかし、解釈至上主義の文化と教育の上に畳を敷いて生きている我々は、物語を解釈し、内容を云々することに終始する。いや、まぁ、いいんだけどさ、それで。ただ、批評や創作をする人は、そういう見方はしてはいけない、と言うより、まずしてないだろう。『魔女宅』の場合も、うますぎる演出と台詞と各種効果にやられて、俺はすっかり心の塹壕を崩され、結果、内容に感動して泣いてしまった。内容よりも、ディテールと見せ方にこそ注目したい、ということだ。

いい加減なまとめ方だがこの辺で。

泣いてしまった。泣いてしまいました。今年で二十五です。『魔女宅』はいい作品だなぁと思います。

コメント

投稿者:ハマカワ (2007年07月14日 01:13)

パイ焼きババアは、うちの死んだおばあちゃんにそっくりです。ああいう色のセーター着てた。
ちなみにハマカワ的ジブリで一番好きなキャラはウルスラです。でもジブリ嫌いを公言している。

投稿者:Kenichi Tani (2007年07月14日 01:18)

パイ焼きババアは一瞬盲かと思ってぎくりとした。うちのばーちゃんには似てない。
俺はジブリ的に一番好きなキャラはあのパイ焼きババアだな。でもジブリ嫌いを公言してる。

投稿者:ゆらら (2007年07月14日 02:53)

谷さんの“気持ち悪い”文体が、深夜のわしのツボにはまりました(笑)
魔女宅、やってたんですねー。知らなかった。その時間は、電車に揺られていました。
あの作品は、以前、落ち込んだときに観たことがあって、
そのときは泣きましたね!!
わしがジブリで一番好きなキャラは、やっぱりウルスラです。かっこいー。
ジブリはだんだんめんどくさくなってきました。

投稿者:yuumi (2007年07月16日 00:24)

はじめまして、こんばんは。
すみません、文章が面白かったので つい書き込んでしまいました。
また拝見しにきます。