PLAYNOTE イプセン『ヘッダ・ガーブレル』

2007年05月23日

イプセン『ヘッダ・ガーブレル』

[読書] 2007/05/23 23:14

次回「本読み会」の課題図書に指定されたので、数年ぶりのイプセン再読。実は未読だった『ヘッダ・ガーブレル』。最も上演回数が多いイプセン作品の一つとされる、中期の傑作。

出版社/著者からの内容紹介

ガーブレル将軍の娘ヘッダは美しく魅力的な婦人.暇で退屈だけれど自分では何をしたらいいのか分らない.そして何もしない.でも他人の成功には平静でいられない.強そうで臆病,望みが高いが平凡,気位が高いくせ嫉妬深い,複雑で矛盾した性格のヒロイン.1891年の初演以来,各国女優の意欲をそそる役柄の一つとなった.

前半はやはり退屈な自然主義。応接間、あるいは居間で繰り広げられる育ちのいい人たちのメロドラマ。

やや退屈しながら読んでいたら、いきなり傍白めいたものが飛び込んで驚いた。第一幕p30、ヘッダ登場後5ページくらいの台詞。
(ベランダのガラス戸のところでしびれを切らし)あなたなんかに、何がわかるもんですか!」
自然主義の典型のような劇展開の中に、突如飛び込む傍白。激しい違和感。え、『人形の家』とかにもこんなのあったっけ?

イプセンは元々独白や傍白・韻文を多用した芝居を書いていたところを、意識的にそれらの手法を捨て、自然主義に傾倒していったというバックグラウンドを持つ作家。他の作品でも傍白くらいあったかな。いや、しかし、傍白なんて自然主義のマニフェストに真っ向から背くものじゃないか。どうなんだろ。まぁいいか。

この辺の背景はよくわからないが、ただ一つ言えるのは、まさにこの芝居はヘッダ・ガーブレルただ一人を描くための芝居である、ということ。傍白の他に、人払いがすんだ後の部屋で独白するというシーンもあるが、いずれもヘッダの台詞であり、他のキャラクターは全くそんな権利を与えられていない。それ以前に、キャラクターの「厚み」が圧倒的に違う。生真面目だけが取り得のお人よしで凡庸な旦那、人に自分の一部を切り分けて与えてやることだけが生き甲斐の叔母、下品で計算高い判事官、etc. レェーヴボルグは他よりマシだが、それもギルデンスターン以上レアティーズ以下とかそれくらいのポジション。

それは、劇作上の意図でそうなった、と言うよりも、ヘッダの生活を蝕むうんざりするような退屈の病巣と言った方が正しいだろう。将軍の娘に生まれ、高尚で英雄的な人間の在り方にはっきりと憧れていたヘッダ。しかし、彼女の周りを取り巻く現実には、そんな美しさの欠片も見られず、ただただむせ返るような凡庸・あさましさ・退屈が臭気を放つばかり。前半は読んでいて退屈した、と書いたが、そこでそういう退屈な日常の臭気をしっかり描いているおかげで、ラスト、ヘッダが叫ぶこの言葉がくっきり際立つ、胸を打つ。

ブラック いや、──撃たれたのは、腹部です。
ヘッダ (激しい嫌悪の表情で相手を見上げ)また、違う! ああ、あたしが手を触れるものは、何もかも滑稽で、下卑たものになっちまうのね。

前半、育ちのいい人々の穏やかな生活を、面白半分に引っ掻き回していたように見えたヘッダが、徐々に何故そんな悪戯をしていたのかがわかる、という構造なのだが、いやはや、こういう過去の英雄的であった時代への憧憬、人間が剥き出しであった季節への陶酔、というものに着地するとは。大変共感した。

でも、わっかんねーだろうなぁ、こういう浪漫は。ヘッダ初演時も「主張がない」「あんな女はいない」と非難轟々だったそうだが、わかんない人には永久にわかんないよね。

うまいなぁと思ったのが、セットの使い方。今さら繰り返すまでもなく、自然主義とは「古くさい」「大人しい」ものではなく、発明された当時─19世紀後半─においては、もっともアヴァンギャルドなスペクタクルであったのだ。おお、舞台上に本物の家具がある! それって驚き、そういう時代があったのだよ。

イプセンうまいなぁと思ったのは、「ただ置いてる」を卒業して、きっちり道具に芝居をさせているところ。中盤、原稿の束を隠す所。人の声がして慌てて隠す、本棚の中、引き出しの中。引き出しに至っては、原稿を探しに来たレェーヴボルグに向かって最後に「形見の品」と言って引き出しを開け、原稿ではなくピストルを渡し、それで命運が決まってしまう、という手の込みよう。そしてラストが秀逸。まさか、カーテンがあんな演出効果を生むとは。たいしたものである。

面白かったですよ。あんまり、現代に再演する価値は感じないけれど。以下箇条書き。

  • 象徴主義への過渡期的作品と呼ばれるが、よくわからん。
  • 21世紀的な価値観からすると、やっぱチェーホフの方が面白いと思う。心理主義的リアリズム。
  • 「スリッパ」や「中世ブラバントの家内工業について」のくだりは、描写としても好きだが、ギャグじゃないかと思うくらい面白かった。
  • レェーヴボルグがあっさり死に過ぎていて笑える。
  • 同じく取り付く島もないくらい錯乱していたエルヴステード夫人が、あっさりポケットから口述筆記に使っていたノートを発見しちゃうとことか、どうなんだ。
  • さらにラスト、テスマンとエルブステート夫人の二人が意気投合して「レェーヴボルグへの手向けだ」とか言ってざくざく遺稿整理を始めるところ。まだ二人は、レェーヴボルグは病院で重体、生死の境をさ迷っている…と思っているはずなのだが(笑)。この辺は、例えば時間が凝縮されてるとか、象徴的に解釈すれば全然アリだし、あんまり自分は細部にこだわる方ではないんだけど、さすがにおかしいだろ。それまでのテイストと比べても。

とは言え、やはりヘッダの造形は見事の一言。これは確かに数々の名女優の挑戦欲を挑発してきたというのも肯ける。ヘッダは、にび色に曇る退屈な現代に生れ落ちてしまった、悲劇の時代の女なのだ。彼女も周りにマクベスやハムレットが一人でもいてくれたら、きっとあんな結末は迎えなくて済んだろうに。かわいそう。