PLAYNOTE LiveUpCapsules『ふぁみ☆こん』

2007年05月18日

LiveUpCapsules『ふぁみ☆こん』

[演劇レビュー] 2007/05/18 16:31

音響の長谷川ふな蔵氏が「DCPOPとLiveUpCapsulesは是非観て欲しい」と周囲に触れ回ってくれている、と耳にした。まぁ、本人の口からなのだが(笑)。ならば観ないでおくべきか、と思い、ルデコ行って来た。

いや、いや、いや。驚いた。ルデコでこんな舞台を組めるのね。四畳半+α、畳敷きの演技エリアを挟み込むように二つの客席。向かいの客席に渡るには、畳の上に橋のように渡した色とりどりのカラーマットを渡って行く。パネルは家の壁を思わせるようだが、象徴的に写真が貼ってある。畳の上にはかわいらしい玩具やぬいぐるみ。アート。

衣装も自作っぽい。役柄が母から兄へ、兄から妹へところころ入れ替わるお話なので抽象性を持たせたのだろうけれど、エキゾチックでカラフルな独特の衣装。全体的に、そういうビジュアルへのこだわりの深さに打たれたし、そういうプランをしっかり実現できる劇団的足場がしっかり組めているのがすごい。うちであれやったら崩壊する。パネルあんなに綺麗に作れない(笑)。

お話の方は、話というより詩で書かれた会話の応酬、断片の連続、あるいはクロスフェード。自分はソリッドでドライな作品を好む傾向があるので、あまり前のめりには観れなかったが、言葉へのこだわりというか、美意識のようなものは強く感じたので、次が気になる。囲み舞台をどう使うか、も、難しい演出だと思うけれど、きっともっとあれこれやっている劇団なのだろうな、という予感が走る小品でした。

難しいなと思ったのが、「どこにでもある」「共有できる」お話と、「月並みな」「凡庸な」話は違うのだな、ということ。前半部に多かった家族の触れ合いやいさかいを描いた場面群は、「どこにでもある」風景なのだけれど、あまりにも「どこにでもある」過ぎてやや「月並みな」印象。後半の、父が祖父になり、母が祖母になる、そして新しく家族の形が生まれてくる場面群では、急に生々しいが誰もが身近に感じたことのある深刻さを伴っていて、「どこにでもある」が「月並み」と切り捨てられないソリッドな輪郭があったように思う。終演後、主宰・作・演出の村田裕子さんとお話する機会があって、後半部のお話が実話エピソードから来ている、と聞いて何だか納得。

ここからは余談だが、自分は「細部に神は宿る」とか「一輪の花の中に仏陀がいる」とかいう考え方を真理として捕らえていて、具体的かつ個別的な描写はすればするほど普遍性を持ち得る、という哲学なんだか禅問答なんだかな芸術観を持っている。そういう意味で、今回の作品のうち後半部の話や最後のりんごのエピソードがぐっと来た、ソリッドであったことに加え、身につまされる共感性を生んでいたのは偶然ではないんだろうな、と思った。

ふな蔵さんからさらっと話を聞いたところによると、次回公演は今からかなり入魂の準備・段取りをしているようで、期待が高まる。いい芝居が観たい。