PLAYNOTE ケヴィン・マクドナルド監督『ラストキング・オブ・スコットランド』

2007年03月25日

ケヴィン・マクドナルド監督『ラストキング・オブ・スコットランド』

[映画・美術など] 2007/03/25 00:40

友人に招待券をもらって鑑賞。1970年代のウガンダに君臨した独裁君主イディ・アミンの盛衰と、三十万人に及んだと言われる国民虐殺の歴史を映画化。有楽町のスバル座にて。

何と言うか、物語と映像の運び方が実にテンポよくて、ちっとも飽きない約二時間。展開の早さと描かれる出来事の残虐さを理解しようと必死で画面に食らいつこうとする脳味噌をよそに、映画の方は的確なテンポで進んでいく。置いてけぼりされるほどは飛ばさず、ほっと一息つけるような間は作らず、見事であった。

虐殺のおぞましさやそのリアリティをしっかりとした重みで描きながら、かつ同時にそれを引き起こしてしまった人間の心の問題や、それをただ遠巻きに見ているだけだった西欧諸国の視線まで描いた野心作。劇中、あるシェイクスピア作品を下敷きにしている、と気づいた瞬間には鳥肌が立った。いい映画であった。

OPが秀逸。主人公・ニコラスの無鉄砲で夢想的な理想主義や若さ、ウガンダへ飛んだわけを、たった三つのカットできっちり見せている。水浴びをするニコラスたち卒業生。続いて学位授与を祝う父母との晩餐と乾杯。最後に、部屋で一人、ベッドに横たわって天井を見つめ、叫び声を上げるニコラス。温かい家庭も、学も富もある。約束された成功。だが、それでいいのか、いや、何かが足りない! 次の瞬間、ニコラスは地球儀を回し、目を閉じて指をさした国へ飛ぶことを決意する。いいOPであった。

次のカットでは音楽と共にもうウガンダへ場が移る。まるで本当に異国の地を旅しているような、そんな想像力を働かせながら観たのでえらい楽しい。料理の味、打楽器や足踏みが地面を鳴らす音、その場で感じているかのようだった。

この辺でしっかり物語に没入して観ていたので、後半、アミンの虐殺が苛烈を極め、絵的にも音的にもおぞましい迫真を持ったものが飛び交うようになると、じっと座っているのが困難なほどの不快感を感じた。体の中を巨大な虫が這い回るような、実感のこもった悪寒。「見せしめ」として、両手両足を切断され、腕と足を取り替えた形で再縫合された無残な死体を見たときに(しかもそれは子を持つ母であり、主人公の一時的な恋人でもあった)、他人事ではないのだ、という印象を受けた。そういう残虐を許してしまう想像力は、我々の中にも確実に備わっているのだ。

この物語は確実に『マクベス』を下敷きにしている。『マクベス』と通ずる点。

  • 権力の頂点に登り詰めた男が、疑心暗鬼に駆られ部下や国民を虐殺する
  • 男は、「夢」で予言された日が来るまで自分は死なないと思っている。
  • 男は徐々に正気を失っていき、最も信頼できる部下や友人をまで手にかけてしまう

そして、タイトルが『ラストキング・オブ・スコットランド』。マクベスはスコットランドの王位を巡る話であった。ただ単に20世紀のウガンダに焼き直した、というだけでなく、『マクベス』で描かれているテーマを、現代人によりリアリティを伴う形で訴えられるよう計算し再構成されている点が見事。僕は個人的に『マクベス』のテーマは、本当の悪魔や恐怖は人間の、というより、自分自身の心の中にのみ住んでいるものである、ということではないかしらと思っているのだが(今現在は)、その辺を見事に・かつ現代的題材を用いながら劇化しているなぁと思った。

この作品では、アミンとニコラスを通して二種類の恐怖が描かれている。アミンを通して描かれるのは、孤独と不信感、常に自分が脅かされているという感覚から来る恐怖。ニコラスを通して描かれるのは、理不尽だが絶対の暴威を前にした人間が感ずる恐怖。前者の恐怖に生々しさを与えているのは、間違いなくアミン役のフォレスト・ウィテカーの演技だろう。鼻息や汗の臭気まで伝わってくるような気がした。後者に関しては、ニコラス役のジェームズ・マカヴォイの朴訥実直な演技の貢献も見過ごすことはできないが、脚本、演出、音響、カメラワーク、すべてがかっちりはまっていた印象。連れが「ホラーっぽいニュアンスもあった」と言っていたが、それも確かに感じたな。

いろいろ書いたが、虐殺という数としても色としても生々しく身の毛のよだつ題材を扱ってはいるが、それに劣らず、変化していく人間同士の思惑や関係を丁寧に描いている、という点でも評価できる作品。いい映画でございました。