PLAYNOTE NODA・MAP『ロープ』

2007年01月27日

NODA・MAP『ロープ』

[演劇レビュー] 2007/01/27 01:59

恒例となった年末年始の NODA MAP@コクーン。当然野田秀樹作演出。最近ではもう評価され過ぎちゃって逆にスルーされてる感のある野田秀樹だけど、相変わらず天才っぷりを発揮しており驚嘆。しかも不覚にも落涙。

『オイル』以来の新作だけど、問題に対峙する姿勢がどんどんストレートになっている。今回はプロレスとベトナム戦争をモチーフに、「あったことをなかったことにすること」、「利用される青年の純情」、戦場の狂気、それらをピシャリと弾劾している。

野田秀樹は人懐っこく笑っている写真がよく雑誌やパンフに載っているから、明るくて気のいいおじさん、鬼ごっことか大好き、みたいなイメージが浸透していると思うけど、実はとてもロックな男だと思う。かぶいておる。挑発的である。

ベトナム戦争で、たった四時間で滅ぼされた村「ミライ」(調べてみたらやはり実在していた)を題材にしているんだけど、自分は物語も後半に差し掛かる頃、それまで意味不明だった背景の文字列が、記念碑にあるような死者の名前を連ねたリストであると気付いた瞬間、もうどうしようもなくなってしまった。それまで「きれい」とすら感じていた模様でしかなかったものが、途端にグロテスクに見えてくる。後半では「ミライ」でいかに人々が虐殺されたかということが、(プロレスの実況スタイルという戯画化を通してではあるけれど)微に入り細をうがつ生々しい言葉で描写される。今回の野田秀樹は、顔もあり名前もある死者の魂までを舞台に連れ込む「気迫」を持って芝居を作っておった。圧巻。

前半は正直、野田秀樹の言葉遊びも聞き飽きた感があるなーと遠巻きに観ていたのだが、他愛無いと思っていた言葉の一つ一つが、本当に一つ残さず伏線として回収され、能天気なトーンで語られていた言葉がくるり様変わりし身を切るような叫びに変わって行くのを見て、野田秀樹の天才を再確認。単語やイメージの連想能力が、もう常人とは掛け離れ過ぎている。一体どういう統語法を脳内に持っているのだろう。恐ろしい。

今回実は最も感動したのが、舞台の使い方。額縁舞台(プロセニアム・アーチ)の向こうにプロレスのリングを載せた回り舞台をしつらえる、という、割とオーソドックスな使い方だが、あえてこの形をとったことを尊敬する。あえて、だろう。だって、普通に考えたら、プロレスのリングを使ったこの芝居、劇場のど真ん中にリングを作って、客席がそれを取り囲む形にしようと思うのではないか? そうすればプロレス会場さながらの臨場感と興奮、役者の躍動感が表現できる。技術的にも可能なはずだ(実際、去年の NODA MAP は、同じコクーンで客席中央に円形舞台をしつらえていた)

だが、あえて、そうはしなかった。この芝居は、熱狂や興奮を通して見詰めて欲しくない、という、野田秀樹の意図だろう。円形舞台は観客と舞台の壁を取り払い、一体感をもたらす。額縁舞台はその逆に、客席と舞台の間に一定の距離感を確保する。あくまで舞台は額縁の向こうにあり、舞台への参与者としての観客の役割は、円形舞台でのそれに比せば遥かに減ずる。
(円形舞台を理想としたアルトーと、額縁舞台でその代表作を上演したブレヒトの対比を思い浮かべるといい)

『ロープ』は、扇動や操作への警戒を一つのテーマにした作品である。国をあげてワーッとなってるうちに一体何てことをしちまったんだ俺は、ということに気付いてしまった、不幸な男の話である。あえて熱を冷まし客観的視点を促すような額縁舞台を選んだところに、文化人としての野田秀樹のモラルとか節度のようなものを感じる。だからこそ、自分はこの芝居を素直に好きだと言えるなぁ。
(パンフレットの前書きには、そういった「距離感」についての野田秀樹の文章が寄せられている)

群集の使い方はさすが。照明で撃っていたマンガチックな「ドカッ」「バキッ」「たらりん」や、プロレスラーの人形なんかも愉快であると同時に、リング内の虚構性を訴えていたシーンの機能的に完璧な演出。後半の静寂と銃声のコントラストも見事。いつ次の一発が発射されるかと怖かった。

渡辺えり子と野田秀樹が絡んでいるところに何だかノスタルジックな感動を覚えた。

これほど動員数があって知名度も高い野田秀樹が、随所にアナーキーな揶揄(わかりやすいところでは「ユダヤ人の社長」とか、苦情も当然来るだろう)を随所に交えつつ、全体として驚くほど強烈かつストレートにメッセージをぶちまけていた点にも感動。そこら辺の小劇場でぼそっとつぶやくのとはわけが違う。ロックだ。言語芸術性、空間演出力、役者のチャーミングさ、どれをとっても他を寄せ付けない力量を見せつけた。面白かった。

コメント

投稿者:りゅーせ (2007年01月27日 05:14)

その感覚を持ちながら、ぜひともOrt-d.dの「肖像 オフィーリア」を観て欲しいのですが、どうでしょうか?

投稿者:エリカ (2007年01月28日 01:40)

泣きますよね。あの後半の戦争で画的にバッ!バッ!てなるなかでワーッてなってスーッてなるのがぶっわーだった。そして渡辺えり子に野田が体当たりすんのとか見てたら温かい気持ちになった。
私観たとき宮沢リエ声潰れてたんだけど治ってた?

投稿者:Kenichi Tani (2007年01月28日 02:13)

>りゅーせ
是非観たいのですが、ああもう来週なのか、うーん、どうしよ。
時間次第です。切羽詰ってるので…。
しかし「その感覚を持ちながら」がどういう意味かしら、気になる。

>えりか
ワーオ、えりかのコメントだ!初めてじゃないか?
バッバッでワーがスーでぶっわーなのは的確な表現だな。俺は最後は「じんわり」だったけど。
俺が観たときは宮沢りえは元気だったよ。かすれたりはしてなかった。聞き取りづらくはあったし、一本調子ではあったけど。
えりか、この次のエントリーにある青年団リンク・サンプルの「シフト」を観に行きなよ。きっとえりか好きだよ。ある意味岩藤一成に通ずるものがあるよ。