PLAYNOTE 熊木徹夫『精神科医になる―患者を“わかる”ということ』

2006年12月31日

熊木徹夫『精神科医になる―患者を“わかる”ということ』

[読書] 2006/12/31 03:44

精神医学関連書まとめて一気に大人買い、読んだ本第二段。まだ30代半ばの著者が、精神科医が患者を「わかる」までのプロセスを、実地の精神科医としての経験に膨大な学術的検討を加えながら論じている。割と安っぽいタイトルでありながら、最近読んだ本の中ではぶっちぎりに歯応えのある骨太の論評。始発待ちの深夜のマックで一気に読んでしまった。

独自の用語を設定しながら、精神病の解き明かし方を論考していく筆者。患者の「構造」から「生体との会話」を通して「像」を読み取り、自らの中に極めて言語的な「物語」を形成していく…というのが概要なのだが、今かぎかっこでくくった一つ一つの概念は一般的な概念とは随分異なるので、詳細は是非本書を手にとって各々検討されたい。

この患者を「わかる」プロセスの中では、フッサールの用語である間主観性であるとかソシュールの言語学の概念が持ち出され、入門書的な名前にそぐわない本気の検討がなされており読み応えがある。特にソシュール言語学におけるシーニュ・シニフィエ・シニフィアンという概念、ラング・ランガージュ・パロールといった用語を、精神科医が患者の「構造」を理解する際にでくわす様々な問題を切り口鮮やかに論じるために用いてる点には大変驚かされた。

…DSMについてのいちばん大きな問題は、「主体抹消」が確実に行われておらず、たださまざまな<パロール的分類>を折衷的に合わせたものであるにすぎないのに、それがまるで<ラング的分類>のように取り扱われることである。

つまりこれらはEBM(Evidence-Based Medicine)やDSM-IVなどの実証主義・客観的医学への痛烈なアンチテーゼでもある。筆者はDSMの有効性を否定しないが、まだ歴史の浅いDSMは主観的判断や事例の寄せ集めでしかなく、金科玉条として奉るにはまだ未熟なのだ。人間の認知の限界として患者の人格にせよ病状にせよ「表出」をしかとらえられず、また「言語化不可能な」領域での了解を抜きにしては正確な診断は成し得ない以上、筆者が「生体との会話」と呼ぶ患者を「わかる」ための姿勢が必要とされてくる。

こう書くと、何だか観念的なことばかり話しているんだなぁ、という気がするが、実際はむしろ逆で、実地的体験や現実に起きている問題を視野に入れ、決して空論に陥っていない。精神病院内における精神科の微妙な立ち位置(リエゾン医療について)や、社会問題としての精神医療の在り方、薬物の氾濫、看護婦の問題など実に様々な問題を扱いながら、瑣末的になることなく独自の視点を披瀝している点には舌を巻いた。新書だからと言って侮ってはいけない。

こんな密度の高い本が700円で買えるんだから、日本はいい国なのだよなぁ。一気に読み過ぎてしまったので、いつかまた時間を置いて再読したい本。

コメント

投稿者:ゆらら (2007年01月02日 00:16)

叔父が統合失調症で40年以上入院している、
わし自身も長年鬱病&パニック障害を患っている、
そんな身としては、精神医学関係の本を大人買いしたということが
とても興味深いです。
わしも読んでみたい……
残りの本も、レビューしてくださいね、ぜひぜひ。
大人買い、わしもやってみます。

投稿者:Kenichi Tani (2007年01月03日 07:29)

40年以上入院!大変ですね。せめて病院がお父様にとって居心地のよい場所だといいのですが。
精神医学関連書籍をまとめ買いしたってのは、次の芝居のための勉強ってのが一番の理由ですが、それとは別に知的好奇心を満たし人間理解の糧となるようなものが多く、大変興味深いですよ。

投稿者:アキコ (2007年01月08日 23:23)

ゆららさん!あなたは私ですか!ってくらい似てますよ。
叔父が統合失調症(30年選手)で、私もパニック障害なんです。
なんだかどれくらい骨太なのかが気になりますので
チェックしてみます。

初めてきたのにコメントなんて書いてしまいました。
おじゃましました。

投稿者:Kenichi Tani (2007年01月09日 21:47)

統合失調症は100人に1人はいるって言われてるし、決して奇特な話ではないんですよね。
パニック障害も僕の身近に二人くらいいます。
これからもコメント歓迎してますよー。ロコロコのエントリーにもコメントありがとうございましたっ。