PLAYNOTE 卒論断片メモ

2006年12月22日

卒論断片メモ

[演劇メモ] 2006/12/22 03:00

昨日今日の進展。
※本当に個人的なメモなので全く読んで面白くないどころか意味がわからない部分もあります。読まないで下さい。

主要参考文献になるであろう本数冊は読み終えた。あとAmazonで頼んでた洋書が届いたので、こいつらを片付けるとほぼメインは終わる。が、ここからが長い。あとは様々な本から断片的な記述を救い上げて検証・考証する作業。まぁ、嫌いじゃないからいいんだけどさ。

ベネディティ『演技 想像の実際』はとてもいい本なのだが、身体的行動の方法をそれまでのシステムを包括する稽古方法として位置付けている分、どこが身体的行動のユニークさであり、それまでのスタニスラフスキーとは異なる視点であったのか、理解できない。

もちろん、同じくベネディティの評伝(すげー長い)を読んでいると、決してスタニスラフスキーが表出されるものとしての演技、外面、を軽視していない、それどころか初期に行けば行くほど意識していたことはわかるし、身体的行動に繋がるような発想やその萌芽が1910年代にもなると既に登場しているのだから、決して身体的行動以前・以後という風に二分できないのはわかっている。が、その辺のグラデーションを見極めつつも、身体的演技というものの全体像を描き出すことをしなければ、ならぬ。

しかしスタニスラフスキーは今から見るとガチガチの古典派だが、当時においては革新のトップランナーであったことがわかり大変興味深い。他の劇団からは「ちょっとおかしい奴」みたいに思われていたそうだし、彼の同朋・ネミロヴィッチ・ダンチェンコですら「おいおいシステムってそれちょっとやめとけよ」的なリアクションをさんざんしている。

驚いちまうのは、スタニスラフスキーが『俳優修行』の先行きとして、具体的な稽古方法を「ひとつめ」「ふたつめ」というくらいに具体化して書き起こそうとしていた、という事実。実現はならなかったわけだけれど、これが実現していたら恐ろしい影響力があったろうな。スタニスラフスキー謹製の演技の教科書なんてものがもし実現していたら、少しずつ手を加えられはしたろうけれど、脈々と現代まで俳優教育の道筋・いろはが受け継がれていたかもしれない。だってそれがあれば、極端な話、『スタニスラフスキーシステムに基づく演技』のクラスを週に一コマ用意して、順番に勉強していく、なんてことが実際にできたのだろうから。

彼は大変な実際家でもある。
僕は最近とくとく思うのだが、思い悩み伸び悩んでいる俳優にとって必要なのは、手応えのある何かであって、観念的な・抽象的な・精神論的な言説や考え方ではない。ぶっちゃけ、そんなもんより、毎日腹筋しろとか、外郎売り全部覚えて完璧にやれとか、多少間違っていても手応えがあり実行できるものが何か必要なのだ。なので僕はスタニスラフスキーの非常に観念的で読みづらい文章の中から、はっきり「こうだ」と言い切れる何かを掘り当てたい。多分、1万文字読んで一行、とかそれくらいの確立だろうけど、そもそも何かを作ったり探したりするというのは、そういうものなのだ。

当時のロシアでは、ステレオタイプの、紋切り型の、お決まりの、大時代的な、型にはまった、大仰な、など様々な枕詞をつけて呼ばれる「職人的」演技が大流行であった。いや、ロシアでは、っつーより全世界的にそうなのだが。俳優は職人である必要があった。台本渡されて、本読みを一度したら、立ち稽古でばーっと動きつけてって、はいこれ衣装、メイクしたらすぐ本番、みたいな状況で、職業人としての俳優に要求されるのは、迅速さとある一定の水準を下回らない程度の質。結果、過去の名優の演技や、お決まりの動作・仕草をたくさん、それこそ衣装を衣装棚に入れて置くように、演技の引き出しに入れて置いて、「あ、今回は官吏の役だ。ならこれ!」「三枚目だな、じゃあこっち!」みたいに引き出せなければならなかった。これに反し、スタニスラフスキーは一つの戯曲を上演するのにとんでもなく長い時間をかけている。半年や一年はざら、長いものだと…今はメモだからちゃんと資料洗ってないけど…数年かけて準備していた。芸術座の名声と、スタニスラフスキー本人の俳優としてのキャリア、そして政府からの優遇がなければとても実現できない念の入れよう。今から見ても贅沢な長さだが、当時はそれこそ気違いじみた長さだったろう。

スタニスラフスキー本人もそういった職人的な・お決まりの演技をする俳優だった。元は。もちろん彼は才能ある俳優だったから、うまくいくときは役が調和し、満足のいく結果が来る。が、ダメなときはダメ。うまくいった役ですら、日によって全然ダメだったり。こういうのは現在の俳優でもそうなんだろうが、そういうムラを潰し、心理学的・生理学的に演技できる状態(創造的状態)を作り出せるようにする、っていうのがスタニスラフスキーがシステムを考えるに至った敬意だよ。こんなもん、ちょっと勉強してる人なら誰でも知ってることだが。思いつくままに書いているので書いておいた。

面白いなーと思うのが、感情に直接アクセスしてはいけない、としきりに言っているところ。状況、環境、前後、戯曲、超課題、そういったものを用意することを延々続けることで、感情は湧いてくる。まぁその通りであるのだが、追い詰められると結果に走る、それはどこでも同じだろう。

身体的行動というのも、最初は俺はまず演技の型を選び、実地に演じることで感情が湧くのを待つ、ものだと思っていたが、どうやらそうではないみたい。トポルコフというスタニスラフスキーの愛弟子が書いていることだが、彼はテーブル稽古を欠かさなかった。見直したり一時的にやめたりしたことはあったようだが、終生廃止することは一切なかった。つまり、身体的行動とは別に、戯曲の分析、超課題の設定、エピソードや事件への分解、といったプロセスは欠かさなかったようなのだ。へー、と思う。

しかし、身体的行動というのはあんまり研究されてないもんだと思っていたが、十分研究されているようだ。だが世間一般のスタニスラフスキー理解はどうもそれから随分遠い。要は、日本におけるスタニスラフスキー受容が盛んであった1930年代~1950年代、つまり俳優修行も芸術における我が生涯もそれ以外の著作もきちんとした形で紹介されておらず、彼の弟子たちの報告もろくすっぽ日本には届いていない、という状況下で広がった不完全なスタニスラフスキー理解が、というか信仰が、そのまま定着してしまい、身体的行動や真のスタニスラフスキーシステムを含んだ重要な著作が紹介され始めた戦後になっても、昔の“焦げ”がそのまま残っているのかな。この辺は慎重な検討が(それこそ日本戦後演劇史を洗い直すような作業が)必要になるから卒論には盛り込まないだろうが、仮説としてはそう外れていない気がする。千田是也も小山内薫も死んじゃったわけだし。

どうでもいいがスタニスラフスキーと全部打ち込むのが非常にだるい。「す」で変換すると「スタニスラフスキー」と表示されるようIME辞書に登録したいくらいだ。でもそうすっと「すいか」と入れると「スタニスラフスキーいか」とか「ころすけ」=「ころスタニスラフスキーか」とかなりそうで面倒なのでやらない。ペンでのメモでは専ら S. と書いている。俺の中ではシェイクスピアも S. だがそこは文脈でわかる。

寝よう。また明日。