PLAYNOTE 卒論のテーマが決まった

2006年12月19日

卒論のテーマが決まった

[演劇メモ] 2006/12/19 04:57

決まったのはせいぜい半月前、十二月に入ってすぐの頃。結局、スタニスラフスキーのいわゆる「システム」の中でも最も馴染みがない割に、彼が晩年もっとも強調して扱った「身体的行動(physical action)」について書くことにした。

あるまとまった文章を書くためには、断片的に未熟な文字列を書き連ねることが極めて有効なので、これからときどき卒論絡みで不完全な断片を書いていくよ。

経緯

何を選ぶか全然決まらなかった。

  • ジャン・ジュネをやろうと思ったが思ったほど熱中できなかったのでやめた。
  • 演出の歴史をまとめようと思ったが広く浅くならざるを得ないのでやめた。
  • メイエルホリドの理論を短く鋭くまとめた文章って日本にないからそれを作ろうと思ったが、ロシア語が読めないとどうにもならない上に学部生がやるレベルの研究じゃないからやめた。
  • アルトーやろうかと思ったが、何か時代遅れなのでやめた。
  • シェイクスピア作品を描いた絵画をヨーロッパでたくさん見て感銘を受けたものだから、シェイクスピアの絵画史をまとめよう、そうすればそれぞれの時代や国によるシェイクスピア像が浮かび上がるぜ、と思ったが、画集が手に入らずやめた。
  • ベケットをやろうと思ったが、こないだ『エンドゲーム』観て大体わかっちまったのでやめた。
  • マーティン・マクドナーとかサラ・ケインとかマーク・レイヴンヒルとかやろうかと思ったが、別にイギリス演劇の専門家になるつもりもないのでやめた。

他にもあった気がしたが忘れた。で、結局スタニスラフスキーに来た。

スタニスラフスキーに直接触れたのは高校三年のときで、東大駒場前にある古本屋でスタニスラフスキー・システムについての古本をゲットしたのが始まり(ある役者に貸したら借りパクされたので今は手元にない)。大学一ニ年のときには概要を調べる程度だったけど、イギリスに行って講義とセミナーで復習し physical action についてもここで知った。帰国後は岸田先生の演出論で半年勉強。今思うと岸田先生の講義は驚くほどコンパクトにまとまっていた。

身体的行動について

日本でスタニスラフスキーと言うと、「魔法のif」あるいは「魔術的なもしも」とか、「感情の記憶」とか、その辺のすごく観念的なものが取り上げられて来たきらいがある。結果、巷に溢れ返る演技論はと言えば、役になり切る、自分に置き換えて状況を想像する、役として生きる、とか、すごく精神論めいたものが多い。映画やテレビドラマの俳優が演技論を語るときもそうだし、高校演劇なんかそういうのすごい多いし、『ガラスの仮面』なんかもそうだな。

余談: が、日本には元々「型」を重んじる文化があったわけで、精神論的なアプローチとは違う文化があったはず。以前読んだ歌舞伎俳優の芸談では、何が何だかわからんがとりあえず型を覚えた、反復した、したらある日突然ぶわっとわかった、みたいなことが書いてあって俺は甚く刺激を受けた。あと印象に残ってるのは、六代目梅幸の芸談を読んだとき、「女形をやるのにまず肝要なのは、脇をしめること」とあっさり書いてあったことだ。脇を締めることをまず意識する、身体の動きが制限され所作が変わる、女の窮屈さがわかる、身体さばきがわかる、そこから女の生き方・振舞い方がわかる、内心や感情はそこから生まれる、という風に理解している(が、もう三年も前に読んだことなのであてにしないで欲しい)。

身体的行動の概念を一行や二行で説明してしまうことは、スタニスラフスキーについて新たな誤解を招くことになるかもしれないけれど、やってしまう。後でちゃんと論文にする。要は、具体的かつ身体的な目標や行動を設定すること、それによって誘発される感情がある、ということ。晩年に至っては、スタニスラフスキーが「魔法のif」や「感情の記憶」よりもこちらを重要視していたことは記録などを見る限り間違いない。

面白いなぁと思うのは、この理論が蔓延しているスタニスラフスキー理解と逆行して見えるところと、あと心理学・生理学の面から見てもそれなりの妥当性が認められるということ、そして「型」(日本的な意味でも西欧的な意味でも)と演技の関係性を考える上で絶好の素材であること。実際の卒論では三つ目の「型と演技」まで踏み込めないと思うが、二つ目までやれたら面白いなと思っている。

しかし日本で現在入手できる信頼できるスタニスラフスキー関連書籍というのは数が少ない。せいぜい二十冊を超えないだろう。もっとあってもいい気がするが。が、ベネディティの二冊は、前評判通り素晴らしい出来だ。評伝の方は網羅的で決定版とも言える内容だし、「想像の実際」の方は驚くほど平易なことばでスタニスラフスキーを書いている。しっかり全部読んだらレビューを書くよ。

洋書も数冊入手した。特に Bella Merlin の『Beyond Stanislavsky』は、そのものずばり Physical Action を扱っていて読み応えがありそうだ。でも面倒くせえな。

「卒論でスタニスラフスキーやるんだ」
というと、
「お、いいじゃん、今度演出するとき役者に教えてやれるね。」
みたいに返されることが多いが、本音を言うと、「スタニスラフスキーくらい役者を名乗るならかじっておけ」、と思う。かじってまずかったら吐き出せばいいが、名前も聞いたことがないとか、何も知らないと言って許されるのは、既に自身の方法論を確立したキャリアのある役者だけだ。

じゃあ俺が今スタニスラフスキーをやる理由は何だろう、と思うと、「演技は気から」という因習をしっかりとした土台を持った上で乗り越えたい、自分にとってスタニスラフスキーにかかった最後の雲である身体的行動という概念の真意を理解したい、ということ。がんばるぞ。

コメント

投稿者:ちょこ (2009年09月07日 17:52)

システムの本場ロシアから、システム研究家であり、演出家でもあるレオニードアニシモフを日本に招いて、スタニスラフスキーシステムを学ぶワークショップが10月に開催されます。実際に経験すると、心理的なこと身体的なこと、発展して型。ということへの理解が深まるかと思います。私自身、体験した感覚での理解と知識での理解の違いに驚いた経験があったので…参考にコメントさせて頂きました。