PLAYNOTE 日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』

2006年11月23日

日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』

[読書] 2006/11/23 02:10

巡回先の某ブログで激賞されていたので読んでみた。

心神喪失および心神耗弱者の犯罪に対する刑罰について定めた刑法39条がもたらした様々な問題について、数々の悪質事件を紹介しつつ論じている。司法の暗部を深くえぐるような内容で、オビに「本書は、愉快な書物ではありません。あまりにも深刻な事件が多すぎて、ご気分を害されることもあるでしょう。」と断りが入れてあるほど。

筆者の論旨には概ね賛同するのだが、書き手としてのモラルを疑うような過激で下品な揶揄の数々と恣意的とも言える事例の引き方に嫌悪感を感じたため、別の意味で気分を害された。

本書を貫く主張は、心神喪失の犯罪を無罪とし、心神耗弱者への刑を減ずることを定めた刑法39条の改正あるいは撤廃。キーポイントは以下の通り。

  • 心神喪失および心神耗弱には法律的な定義付けが行われておらず、現状行われている精神鑑定も極めて恣意的で客観性に欠くものであり、犯罪者に法の抜け道として利用されてしまっている。
  • 「検察黒星」を嫌う検察と有罪判決を避けたい犯罪者の利害が一致し、安易に心神喪失を理由とした不起訴処分が乱発されている。
  • 心神喪失の判断が下された犯罪者は、現行法体制では措置入院とされ医療処置がとられる場合が多いが、すぐ退院し再犯を重ねるケースが多い。
  • 刑法39条は精神病者に限らず麻薬中毒やアルコールによる酩酊状態の犯罪者まで擁護する形になってしまっている。

これらを解決するため、心神喪失には確固たる法律上の定義を与え、麻薬やアル中はこれを含まないこと、心神耗弱規定はこれを撤廃し、必要に応じて過失や情状酌量を適用して対応すること、心神喪失犯罪者の処遇施設を設けること、などが提案されている。

結論自体には、それほど反対するわけでもない。むしろ、精神鑑定をとりまく司法の現状に問題があるのは自明なのだし、これだけ売れた本なのだから、精神医療や司法の専門家がこぞって討論し、よりよい打開策を探る叩き台となればいいんじゃないか、とすら思う。

個人的には刑法39条を全廃するのには反対で、麻薬やアルコールなど自分に非のある心神喪失・心神耗弱はこれを対象から除き、かつ(巻末で斎藤環が書いている通り犯罪者の精神鑑定自体がパラドキシカルな不可能性を孕んでいるにせよ)精神鑑定の信頼性や客観性といったものを高める手段を講じるべきと考えている。仮に心神喪失を認められたケースの99%が詐病であったとしても、法律が残りの1%を切り捨てることには賛成できないし、全く正常な記憶・認識・弁別能力を欠いたまま裁判に立たされる精神病患者を生むことは、新たな問題を残すだけだと思うからだ。

心神喪失犯罪者の処遇施設を設けるというのにも賛成だ。これは以前読んだ『救急精神病棟』の中でも触れられていた。他者に危害を加える恐れのある患者や人格障害者に対しては、治療だけでなく社会の安全を守るための方策も同時に考慮されなくてはならないだろう。

いろいろ考えさせられた、という意味で、読まなきゃよかったとは思っていないが、とにかく筆者の語り口の非道さには閉口する。品がない。批判の槍玉に挙げられたが最後、「精神の異常が疑われる」「病的」「屁理屈」「感想文」など極めて次元の低い罵詈雑言が投げ付けられる。他にも、引用が長くなってしまうので引かないが、相手を茶化したり馬鹿にしたりの連続で、本人は風刺的な舌鋒を披露しているつもりなのかもしれないが、こんな文体の本が何とかドキュメント賞とやらを受賞したなんて、良識を疑うよ。第一、貶める相手に対して「精神以上」「病的」という言葉を使っている辺り、筆者が精神病患者をどういう目で見ているのかがわかる。文中には度々「精神病者に人間的権利を与えるため」という言葉が振りかざされるが、それもどうだか。

また、法の穴をついた悪質犯をばかり事例として引いている点にも疑問が残る。あたかも刑法39条が適用されたのがすべて詐病か怠慢のためであるという印象を与えかねない。もちろん長く悪用され数々の不幸を生んできたのは事実であり、その事例を引くことは大事なのだが、読者の理性に問い掛けるというよりも感情を刺激するために利用しているような印象も受ける。

まぁタイトルからして扇情的というか週刊誌的で、手にとったとき一抹の不安を感じてはいたのだが…。筆者の情熱には素直に頭が下がる思いである。だからこそ、こういう低俗さは排除して欲しかった。告発本のようなものだからスキャンダラスにしなければならない、という理屈も通らないことはないだろうが、こういった感情剥き出しの言葉では、議論よりも憎悪を多く生むのではないだろうか。