PLAYNOTE 長塚圭史作・演出 新国立劇場『アジアの女』

2006年10月06日

長塚圭史作・演出 新国立劇場『アジアの女』

[演劇レビュー] 2006/10/06 03:25

早いもので、初めてスズナリで阿佐スパ『日本の女』を観てからもう五年。長塚圭史の作品は付かず離れず追っかけて来た俺だけど、この一作を持って長塚圭史は一つ階段を登った。気がする。

惜しげもなく★四つ。100分率なら95点。新国立劇場小劇場にて。

新国立劇場というクリーンなホールながら、長塚作品らしい、くすみ、歪んだ美術がまず◎。リアリスティックでありながら、何となくお伽話っぽい空気を感じたのは、美術のせいかしら、いや、多分長塚の筆の力だろう。

物語は淡々と進む。震災で全てを失った街の一角、精神を煩っていた妹、アル中の兄、虚栄心の塊でありおそるべき愚物である中年の作家。この三人がお互いの心を少しずつ踏み荒らしながら、物語は淡々と進む。別に舞台上で誰かかが刺されたり、でっかい仕掛けが動いたり、グロテスクな汚物を食いまくったり、腹からデブが出て来たりしない。長塚にしては驚くほど淡々。

が、そういうショッキングな描写やバイオレンスを除いただけで、しっかり生きている長塚節。人間の醜さ、弱さ、恐ろしさを、炙り出すように徐々に徐々につまびらかにしていくストーリー展開には唸らせられた。何だか、彼の描く過激でグロテスクな人間模様が、動作や台詞といった表面的な部分に出なかった分、よりじっとり、ぬめり絡みつくように出て来た感じ。

今まで割と核心や激情を台詞で吐露・絶叫していた感があるけれど、今回はそれが所作や台詞の裏から滲み出てくる芝居になっており、より洗練された印象があった。そういう「滲み出る芝居」が出来るだけの力量を持った俳優をキャスティングしたというのも強い。長塚氏は「台詞を極限まで減らした」と語っていたけれど、それも近藤芳正がいたおかげでより的確に生々しく成立させられていたと思う。長塚をこういう役者と組ませると、こういう芝居が出来るのだな。

ラストが秀逸。破綻した人間性を描きながら、最後には「どこから出てくんのそれ?」というような優しく暖かい視点で物語を終える長塚節が、一つの完成を見た感がある。自分の足で立ったと思ったが矢先、命を落とす妹。それを見て足を踏み出す兄。土砂と建物が崩落してくるかもしれないというのに、初めて書けた自分の・自分自身の文章に無我夢中になり、書き続ける作家。後日談を想像すればとても暗いし悲惨だけれど、彼らを通して観客は、何がしかポジティブな、希望にも近いものを感じるだろう。破綻を破綻としてエグいほど赤々と描き出した後に、それを破綻で終わらせず、ほわっとあたたかいオーラ包み込んで幕を落とす。ああ、何て素敵なラストだろう。

また、演劇にしかできないギミックを多数用いていたのも素晴らしい。例えば水を撒くとか走り回るとか、映像でやってもそこに感動はないけれど、舞台では本水が流れて音がするだけで、人が走っているだけで感動する(「舞台では、人が走っているだけで感動する」とは野田秀樹の言葉)
岩松了演じる作家が虫を振り払うような仕草をずっとしていたが、あれも秀逸。客は始め「あぁ、マイムだな。虫がいるのだな。」と疑いもなく受け入れてしまうが、その裏をつく。実はその虫は、その作家にしか見えない幻覚だった、と気づくのだ。演劇の約束事を逆手にとった趣向である。このギミックはさらに推し進められ、アル中の兄と精神病の妹が三人こぞってその「見えない虫」を追い払おうとする…、という極めてグロテスクな描写に行き着く。これには、ぞっとした。中空に手を振りながら天を仰ぐ三人は、傍目にはまるで踊っているようにしか見えない。だが客席は「もう気づいてしまった」のだから、今度は本物の虫ではなくて、三人が見ている幻覚の虫を想像してしまう。三人の頭の上をぶんぶんと回る、目に見えるはずのない小さな羽虫を。

基本的に地味な照明だったが、アル中の兄がアルコール切れで幻覚症状を起こす、という部分だけグーッとドラスティックに変化していった辺りも見事だった。この他、細かい点で多々その脚本・演出の技巧に思わず唸った。細かいから気づかない人も多いかもしれないけれど、自分は五年分の長塚作品を見ているだけに感慨深い。もう彼は感性が優れているとか才能があるだけでなく、技術・技巧を備えた作家になったのだと思う。

ここまで書いて、今回これほど感動した理由は、きっと、彼が描くグロテスクが、「目に見えるもの」から「目に見えないもの」に移ったからじゃないかしら、とふと思った。今まではブスリとやったりベチャリと行ったりして視覚的・聴覚的に叩き付けていたグロテスクが、今回は「目に見えないもの」の中に描かれていた。観客の想像力次第で、それは視覚や聴覚では味わえないテリトリーの生々しさを映し出す。

この作品を観て、長塚圭史が戯曲作家として間違いなく後世に名を残すと確信した。スラップスティックな暴走列車も書ければ、こんなしっとり・しんみりとした、それでいてずしっとくるような戯曲も物す。これが最高傑作とは思わない。次の作品が楽しみだから。

これだけ褒めちぎるのも阿呆みたいだが、心底よかった。俺はこういう芝居を観たくて演劇というメディアに噛り付いているのだな、と思った。是非多くの人に観て欲しい。

学生なら朝ちょいと30分も並べば半額で見れるよ。Z席なら大人も子供も1500円だ。是非みんな観て下さい。まだやってます。