PLAYNOTE サミュエル・ベケット作・佐藤信演出『エンドゲーム(勝負の終わり)』

2006年09月28日

サミュエル・ベケット作・佐藤信演出『エンドゲーム(勝負の終わり)』

[演劇レビュー] 2006/09/28 02:22

ベケット生誕100周年で上演されたベケットの傑作と呼ばれる作品の一つ。その存在を知り、『ゴドー』を初めて読んでからはや七年。初めてベケットの面白さを感得できた。そういう意味で、胸のすくような公演であった。

世田谷パブリックシアター・プロデュース。シアタートラムで上演されたよ。キャストは、手塚とおる(ハム)、柄本明(クロヴ)、三谷昇(ナッグ)、渡辺美佐子(ネル)

奥、上手・下手、床、天井まで、ただひたすら無機質なグレーで囲まれた空間。隙間から外光が差している他は、ベケットのト書き通りの舞台。演出もベケットの原作から大きく外れることのない、ストレートなものであった。

一言で言って、笑えたし、どうしようもない閉塞感と絶望が僕の胸にまで迫って来た。そしてそれが、五十年前に書かれて埃をかぶった言葉としてではなく、現代を生きる自分が感じる何とも言えぬ寂寞感をざらり・ぎらりと描いていた。主観的に書いているのは承知だが、ベケットの戯曲はそういう風にしか評価できない。

きちんと戯曲を読んでから行ったのだが、ベケットには毎度のこと、戯曲自体は超つまらなくて、何度も舟を漕いだ。読み進めるのが苦痛であったし、注釈を追うのが苦痛であった。仰々しく構えやがって、そんなありがたがるような代物か? と。

が、舞台を見て、ベケットの書いた意味がすとんと胸に落ちる、腑に落ちる。感じられた。セットにせよ、動作にせよ、なるほどこうか、とわかったのだ。これは、悲しい。これは、息苦しい、と。

不条理演劇ってただの意味不明やシュールじゃない、行動-結果という、アリストテレス以来の作劇術をぶち壊したって意味で不条理なんだな。きっと。
(英語ではabsurd。この意味を考えるとまた眠れなくなるので、今日は考えない。)

終演後のアフタートークで佐藤氏が語っていた言葉が印象的。不正確だとは思うが、要約。

「戯曲のト書きには、「裏返した絵が飾ってある」と書かれているが、それが何故裏返しなのか、何故飾ってあるのか、裏には何が描いてあるのか、それについては何も書かれていない。私もそれを、はっきりと一つの解が与えられるようには演出していない。
同じように、ベケットは非常に正確に、事細かに行動や台詞を書いている。が、それについてある一つの解釈を与えるように演出してはいないし、それをやったらベケットではない。」
(だが同時に、観客が何も感じなかったとしたらそれも失敗だ、というようなことも語っていたような気がするが、あいまい。俺が感じたことかもしれない。)

ベケット劇ってね、完璧に「わかる・わからない」「伝わった・伝わらなかった」の世界だと思うのですよ。「これこれこうだから良いのだ」等という説明は全く無意味。僕はずっとベケットを理解したくて「これこれこうだから、こうなのかな?」と考えてきたが、それは完全に無意味なのだと今回悟った。

でもそれってどの芝居でも同じだよね。
「僕はここで感動した」
「何故?」
「それは、これこれこうだからさ」
そう説明したって、感動そのものは伝わらない。ベケットはやたらもてはやされて持ち上げられて、20世紀の巨人として扱われているものだから、「これこれこうだからさ」といろんな人が説明しようとしてきたが、すごく無意味なのだと思う。

以前、ガッコの授業でこんなエピソードを聞いた。
「あるとき、刑務所を劇団が訪れ、『ゴドーを待ちながら』が上演された。難解と言われるベケット劇だが、観客である囚人たちは観終わった後、大きく拍手喝采し、涙を流すものさえいた。」
ともすれば偏見的な言い方であることを承知で書くが、アベレージで言えば知的水準も文学的教養も押し並べて少ない服役囚たちが、ベケットを一瞬で理解した、というのは驚くべきエピソードであるように思える。が、本来ベケット劇は、ストレートに笑えるものであるし(低俗な笑いやくだらないシャレも多い)、ダイレクトに感情や感性に訴え掛けるものなのだろう。
※このエピソードを紹介したとき、その教授は、「『待つ』ということが、捕らわれの身の囚人たちには直感的に理解できたのだろうねぇ」と言ったが、そうかもしれない。別の理由があったのかもしれない。そこは、いくら考えてもわからないことだと思う。

とにかく、今回の『エンドゲーム』で、僕は胸いっぱいの閉塞と絶望を感じることができた。前日二時間しか寝てなかったので途中船を漕いだシーンもあったが(笑)、トータルとしてはとても楽しく、切なく、悲しいお話だったなぁ。面白かったよ。

今年観た芝居の中で、一番面白かったかもしれないよ。
何年か前に、同じく佐藤信演出・柄本明出演で、同じく世田谷パブリックシアター主催で上演された『ゴドーを待ちながら』は、ちっとも面白くなかったのだけれど。不思議なものだ。

これからベケット劇を読む人たちへ

先輩ヅラして書いてみるよ。

  • ただ台詞を追うのではなく、情景をイメージしながら読もう。
  • 意味がわかんないところは、何となくのインプレッションをさえ感じられたら、気にせずどんどん次に進もう。
  • ぞろぞろとある注釈(キリスト教的見地から言えば~、とか、この言葉には二重の意味が~とか)は、読んでもいいけど間に受けるな。むしろ読まないことを薦めたい。あなたがベケットを専門的に研究するのなら別だけど。

一番いいのは、そもそもベケットの戯曲なんか読まないことだと思う。本気で。わかるか、こんなもん。

よほど戯曲の読み方に慣れている人でもベケットは読みづらいし、「上手な読み方」、つまり伏線とか象徴とか起承転結とか「ここが重要」とか考えながら重要性や意味性を整理して読むことに慣れてしまっている人には、それが仇となって逆に読みづらいだろう。情景や空気の匂いは夢想しながら、ただ感じること。うわぁ、なんて難しいんだ。俺には無理だ。

例えば、玄関脇で一匹の犬が微動だにせず郵便受けを眺めている情景。これって何だかとても悲しい感じがするでしょう。そういう手触りを感じるように受け入れるのが、ベケット劇の楽しみ方なのではないかしら。

コメント

投稿者:しのぶ (2006年09月30日 03:38)

ことごとく趣味が合わないよね(爆笑)!
でも、親友だと思ってるゼ。よろ。
とりあえず金曜日の夜を空ける努力をしてほしい。これから半年以内に。

投稿者:Kenichi Tani (2006年10月06日 04:21)

趣味が合わないのはお互い前々からわかっていたじゃないか(笑)。
だからたまにカチッとはまると妙に嬉しかったりするよ。

金曜夜!一番あかない一日なのですが、ともすれば今月中に一度くらい大丈夫かもです。何時ごろがよいのかしら。ご連絡下さいな。

投稿者:しのぶ (2006年10月06日 10:05)

いや~、「アジアの女」!!!
谷君と私の亀裂さえあの震災が埋めたんだなっ!

金曜日はソワレの後に原宿。そんな感じです。