PLAYNOTE 『13歳のハローワーク』―「劇団員」について随想

2006年09月26日

『13歳のハローワーク』―「劇団員」について随想

[演劇メモ] 2006/09/26 04:29

fringe blog: 続・「舞台俳優」と「劇団員」を読んで、13歳のハローワーク「劇団員」のページを読んだ。

想像以上に鋭い指摘に驚く。基本的には全て同意で、あまり語ることもないのだが、より多くの演劇関係者にこの文章を読んで欲しいなぁと思ったので、あれこれ随想してみる。

この本の編纂自体、公式サイトにある村上龍氏のコメントを読めばわかるのだが、オプティミスティックと取る人もいるだろうけど、とてもポジティブな気概から成された仕事のようだ。

「仕事というのはつらいもので、一番必要なのは我慢だ」とは、僕自身が子どもに言いたくない(中略)。「人生というのは、苦労と我慢の連続だ」と言う人のことも少しはわかるんですけど、それを子どもに言うのは、フェアじゃないと思う。すべての子どもには、活き活きと生きていけるというか、活き活きと充実感を持って働くことができる可能性があると思うからです。

が、「劇団員」の項目には何一ついいことが書かれていない(笑)。むしろ警句。これ読んで劇団員になりたいとか興味持つ子供は皆無だろうな…。

興味深いコメント。

先鋭的で実験的な小規模の演劇というのは、基本的に近代化途上・激動期の社会のもので、成熟期においては不要となる。成熟期の演劇は、より洗練され、商業的なものにならざるを得ない。現代社会は、先鋭的な演劇を基本的に必要としていない。

「基本的に」とエクスキューズがあるが、先鋭的な演劇を必要としていないという論旨には賛同し難いものがある。そりゃあ近代劇運動期やアングラ全盛の時代ほどの急激な変化やそれこそアヴァンギャルドな革新というものは現代では見られないし、そもそも社会自体が膠着している現代(それは平和・平穏の裏返しだが)では、それも当然のことなのだが。明治維新の後に生まれた近代劇運動、戦後に生まれたアングラ演劇、高度経済成長の後に来た小劇場ブーム。演劇を生み出すのは社会だ。

しかし、変化を止めたものは、芸術だろうと商品だろうと死んでいくものだ。NEEDSやWANTSも減っていく。僕が思うのは、「成熟期の」「洗練され」た「商業的な」演劇の担い手が、同時に実験や革新を行うことができる土壌が必要だということ。イギリスを例に取るのも胸糞悪いが、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーや、元々商業演劇にいたピーター・ブルックが、すでにそれをやっている。日本でやれぬはずがない、と言いたいところだが、そうでもない、やっぱ無理じゃね? と思う。現代の大物演出家なり劇作家なり俳優なりの中で、劇団員出身者の何と多いことか。きちんとした養成機関が増えなくてはならない。その劇団のメソッドや特色を伝導するだけでなく、広い視野と豊富な経験を持つベテラン講師を持つ養成機関が増えなくてはならない。演劇の研究や批評も成熟させなければならない。言うは易しだよねぇ。

次が辛辣。

……だが、劇団の数は異様なほど多いし、劇団員になろうという若者は後を絶たない。

それは、今の日本のような過渡期の社会では、「何をすればいいのかわからない」若者が多く発生し、充実感のある仕事を探すのが簡単ではないからだ。その演劇の質にかかわらず、仲間たちとともに稽古に汗を流しながら、1つの公演をやり遂げれば、とりあえずの充実感があるだろう。だがほとんどの場合、外部からの批判がなく、金銭がからむ興行的なリスクもないために、文化祭や学園祭やお祭りなどをやり終えたときの充実感と大して変わりがない。現代の劇団員のなかには、単に無意味な苦労をしているだけなのに、それを充実感だと思い違いしている若者も少なくない。

返す言葉がない。↑に述べられているような類の劇団員って、ハタチ前半の僕の周りにはうじゃうじゃいるのです。しかも大抵、誇大な自尊心と半ば使命感のようなものさえ感じながらやっている。熱を帯び、全力疾走している。そして、二十台後半くらいからバタバタと倒れる。あるいは、劇団が解散して、ぽつんと取り残され路頭に迷う。さらに追い討ちをかけるように待っているのがこういう現実。

アルバイトをしながら劇団員を続ける若者が負うリスクとは、現実の社会で生きていくための、知識やスキルや人的ネットワークを得ることが非常にむずかしいということだ。閉鎖的な集団における自己満足には、警戒が必要である。

うわあああああああ。他人事ではないので恐ろしい。
「現実の社会で」と書かれているのも恐ろしい。そう、熱にうかされたようになって走っているマイナー小劇場の住人には、現実に生きていないような、奇妙な浮遊感を持っているような人を散見する。(もちろんしっかりしてる人もたくさんいるが。)

自分も村上龍氏が指摘しているようなリスクを背負った半人前の若者なので、耳が痛いっつーか、死にたい。が、続けなければ何事も成就せぬし、逆に、続けられる人間こそ、何事かを成すことができるのだ、とも思う。自分の場合、完全に滑ったら、ガソリンの切れた中古車としてぶすぶす燻りながら廃車場目指して生きていけばいっか、それこそ村上龍氏のコメントにあるような「自分はいやいやながら金のために仕事をやっている」ような生き方を甘んじて受けるしかねっか、と思うけど、シビアな現実ではある。「仕事というのはつらいもので、一番必要なのは我慢だ」と言うような大人になるということである。

もう一度冒頭に引用した村上龍氏の言葉を繰り返す。

すべての子どもには、活き活きと生きていけるというか、活き活きと充実感を持って働くことができる可能性があると思うからです。

演劇に興味を持った次世代の子供が、そう思えるような社会や教育が作れるだろうか。

未来の話だけではすまない。では、2006年を生きる何千、何万という「劇団員」が、「活き活きと充実感を持って働く」とこまで行くには、一体何をどうすればいいのかしら。選択肢としては、

  • 早めに諦める
  • 万に一つの可能性を信じて、ねばる

くらいしか思いつかない(笑)。まぁ、特殊な職業につきたいと思う人間がリスクを背負わずにすむとしたら、それも都合のいい話ではあるけれど。そして、演劇に関係する仕事が「特殊な職業」ではなくなるためには、日本の「演劇界」とかいう奴の、社会の中での位置付けとでも言うべきものを確立する他ないのだろうけれど。ほら、どんどん壮大な話になってきたが、そうならざるを得ない根のある問題だ。対処療法ではどこかにほころびが出る。

俺が還暦を迎える頃には、どうにか…。なってるかなぁ。

いろいろ考えさせられるページでした。