PLAYNOTE ミロス・フォアマン監督『アマデウス』

2006年06月04日

ミロス・フォアマン監督『アマデウス』

[映画・美術など] 2006/06/04 00:30

いろんな人に薦められていたので是非と思っていた映画。先に書籍版のアマデウスを読んでから観た。アマデウスとはモーツァルトのこと。歴史に名を刻んだ天才・モーツァルトと、時代に消費された音楽化・サリエリの二人を描く。と言うか、タイトルこそモーツァルト由来だが、完璧にこれはサリエリの映画だな。

正直、書籍版の方がよかったな。書籍版のあの長大なサリエリの語り。じとっと、ねばっとした嫉妬の心が、途中、はじけるように様変わりし、小気味いいまでの(そう、悪もあそこまでいくと小気味いい)邪心に変わり、そこからの勢いが素晴らしい。映画版も傑作だが、戯曲『アマデウス』に軍配を挙げたい。

  • アマデウス: 本 関係ないけど訳は江守徹。あの人は実はかなりのインテリ。

映画版でも基本的な構造は同じ。サリエリのどす黒い嫉妬心が中心にあるんだけど、何故だかその陰険さの割に、後味は悪くなかった。誰だってサリエリの心情はわかるものな。彼にも音楽的な資質はあった。だがそれは、単にモーツァルトの天才を見抜き彼を苦しめるだけ。何も気づかないほどバカではないが、天才にはどう足掻いても届かない、全人類何十億人の心情の代弁者。

別に俺はモーツァルトには同情しない。天才や芸術家ってのは、民衆に翻弄され消費されながら、その民衆に奉仕するだけ奉仕して虚しく死んでいく、時代の人柱みたいなものだ。劇中では「神に愛された」という表現がよく出てくるが、それだけでいいじゃないか。少なくとも彼は、自分の音楽の価値がわかっており、自分の音楽に酔うことができた。哀れだが、彼の悲劇は至当だ。彼に人間的に同情できない点で、俺もサリエリも同じ。

長い。正直、長かった。が、よくできた映画。

コメント

投稿者:泡盛マイスター (2006年07月16日 23:36)

サリエリの『イエス・キリストの受難』

最近聴いた超マニアックな音楽、『イエス・キリストの受難』。原題は、『ラ・パシオーネ・ディ・ノストロ・シニョーレ・ジェズ・クリスト(La Passione Di Nostro Signore Gesu Cristo)』。舌噛みそうです。

これ、メタスタージオの台本に作曲した、いわばオラトリオです。

サリエリといば、映画『アマデウス』でモーツァルトを暗殺してしまう悪名高い?作曲家ですよね。 実際は、暗殺はしていないのではという話ですけどね。でも、そのサリエリがどんな作品を書いていたのかは、興味が尽きないでしょ?

今回は、サリエリとミスリベチェクの同じ名前の作品を聞きくらべてみました。この2作品、実は、とっても対照的。洗練された技巧で、シャープで確信犯的、ちょっとモーツァルト風のミスリベチェクと、壮大なモティーフを次々と繰り出すサリエリ。ベートーヴェンが、モーツァルトの弟子ではなく、サリエリの弟子だったというのも、とっても頷ける話です。