PLAYNOTE 武田ゼミ研究発表会『バス停』

2005年12月09日

武田ゼミ研究発表会『バス停』

[演劇レビュー] 2005/12/09 23:18

友達がたくさん出ていたので観に行った。高行健という中国人作家が物した戯曲。明治大学和泉校舎メディア棟M515教室にて。

バス停でバスを待っているがバスが来ず、腕時計を見るともう一年経っている…。そして不条理の世界へ。比較するまでもなく『ゴドー~』に影響を受けた作品だが、戯曲自体が浅薄。『ゴドー~』やそれに続く不条理演劇が描いた、世界の亀裂と言うか、人間性の破綻と言うか、意味性の崩壊と言うか、そういうものがことごとく日常的思考のレベルにまで落ちている。

うーん。一時間という短さのおかげで乗り切れたが、上演としては失敗だと思う。役者は一部を除いて台詞が軽過ぎて、時間の重みが感じられない。何もせず標識を盲信しただ待っている間に過ぎ去ってしまったこの時間、それを歎く人々の声に一つも迫真を感じられず、飽きた。時計の日付表示を見ただけで「一年経ってしまった!」と言われても客は劇世界から置いていかれるだけだが、その後に続く台詞が本物なら少なくとも人物は信じられる。大事なところだと思うのだけれど。

加えてキャラクターの造型も全体的にステレオタイプで体温を感じない。衣装も娘ならブラウス+スカート+おさげ、とか、インテリ大学生なら黒ぶちメガネ+シャツをパンツにイン+長髪、とか、若いゴロツキならアロハシャツ+サングラス、とか、漫画的過ぎる。いや、最近は漫画ですらこんなコテコテのキャラはいない。

総じて言えば、台詞にせよ動きにせよ衣装にせよ、「そんな人間はいない」、この一言に尽きた。どこまでが演出の指示でどこまでが役者の裁量かはわからないが。

スタッフ面も手を抜き過ぎと思う。教室をそのまま、というのは一向構わないが、せめて窓を目張りして完全暗転くらいさせた方がいい。それは金がなくて場所が悪くても汗を流せばできることだ。照明も、ゲージを落とせば夜になる、というような安易なプランで行われている上、日中の場面でも薄暗く、がっかりした。

不条理劇は、演出においても演技においてもスタッフワークスにおいても、お馴染みの自然主義的なやり方では料理できない分野を扱う劇だ。だからこそより細部に神経を使いしっかり演出が手綱を取らないとピンボケのナンセンス芝居になってしまう。

卒業公演的な位置付けのようだからあえてこんな酷評することはないんだろうけど、参加者のうち少なくとも一人はこの先芝居を続けていく腹づもりのようなのであえて書いた。

コメント

投稿者:おか (2005年12月10日 00:42)

えっと…ゴメンナサイ。きてくれてありがとう。

投稿者:Kenichi Tani (2005年12月10日 01:00)

いや、ゴメンナサイとか言わないで~。足を運んだのは俺が観たいと思ったからだし、上に書いた感想は所詮俺一人の主観的なものだから。

岡さんはブログに「おばさんという年が出ない…」と書いてたけど、生活に疲れた感じはよく出てたと思うよ。芝居の公演は本当に一日ごとに出来が違うから、明日頑張ればきっともっといいもんが作れると思います。頑張ってね。

投稿者:おか (2005年12月10日 01:25)

ネットの記事は、藤野君も私も知っていて谷君は好きになれないだろうなあとはもう覚悟していましたよw

また機会があれば話したいです またね

投稿者:IPEI (2005年12月10日 01:27)

うおっ酷評サンクス。明日もやってやるぜ。
今日は来てくれてありがとう。