PLAYNOTE 朝倉摂のステージ・ワーク 1991‐2002

2005年11月26日

朝倉摂のステージ・ワーク 1991‐2002

[読書] 2005/11/26 02:10
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舞台美術家・朝倉摂の最新10年分の舞台をでっかな写真つきで紹介している一冊。図書館で借りて読んだが欲し過ぎる。でも高過ぎる。だがすごくいい本。

一ページ一ページ、めくる度に溜め息やら驚愕の小さな叫びやら、そして舞台美術の本なのにそれを超えて演劇表現とは何かという問題について大変考えさせられる本。

倉摂のステージ・ワーク 1991‐2002

しばらく勝手な演劇論。

20世紀から21世紀にかけては視覚の時代だ。演劇史を紐解いても、古代ギリシャ劇場もエリザベス朝演劇も日本の江戸歌舞伎も、つまり電気照明(とガス照明)が導入される以前はすっごく聴覚に頼る部分が多かった。だって暗くてor遠くて見えないんだもの。日本では古くから役者の条件として「一声二顔三姿」とか言ったりするよね。

が、劇場の設計もよくなり、電気照明でばっちり舞台が見えるようになり、舞台美術や衣装も格段の進歩を遂げた今、視覚は演劇におけるすっげー重要な要素。自然主義の登場を超え、アヴァンギャルドの実験が進むにつれその傾向はどんどん強くなる。舞台の構図や色彩、人物配置なんかを駆使した演出はどんどん増えている。加えてTV、映画、雑誌etc.の鮮やかで派手でスピーディーな視覚効果に慣れ親しんだ観客は、徐々に徐々に耳から目に意識をシフトさせているように思う。演劇は、聴覚の芸術から視覚の芸術へ姿を変えつつあるとさえ言えるかもしれない。

印象派以降の美術の革新的な実験もあいまって、舞台美術ってのはここ一世紀くらいで飛躍的な進歩を遂げた。

で。
この本だが、素晴らしいの一言。朝倉摂の舞台は、戯曲を読み込みそのイメージをしっかりと大事に抱擁した上で、演劇的な表現に昇華させている。インタビューから引用。

――おっしゃっているリアリティというのは、どういうものなんでしょうか?

演劇と言う虚構の中で輝く“実感”ですね。演劇にとって一番大事なのは、舞台にそうした“リアリティ”が生まれているかどうかだと思うんです。舞台空間も、写実的な方法だけではリアリティをつかまえられないと思うんですね。では表現を抽象的にすればいいのかというと、そう簡単なことでもないんです。まるで日常をそのまま切り取ってきたかのような現実的な空間の中で成立する、極めて抽象的な演劇表現というのもあり得るわけです。つまり、それぞれの舞台が求めるリアリティによって、必要な形と必要な材料が決まるんだと思うんです。

思わず膝を打った。そうなのだ。演劇におけるリアリティは実に様々な形で具現化する。同じチェーホフの『桜の園』を上演するにしても、極めて写実的に演って登場人物の息遣いがリアリティをもたらすこともあれば、象徴的な上演で戯曲の中核が浮き彫りにされることもあるだろう。シェイクスピアなんかどうにでも料理できるぜ。アプローチの仕方は、戯曲と、演出と、当然役者によって形を変えるし、観客の層や受容の姿勢に合わせることもあるだろう。

今引用した一節は、舞台美術の枠内に収まらず、ある意味演劇表現全般に言えることのような気さえする。

↑の引用部がちんぷんかんぷんな人は、本読めばわかります。実に幅広い。象徴的で幻想的な舞台から、細密画のように描き込まれた写実的な舞台、あるいは機械仕掛けを利用してダイナミックに転換するスペクタキュラーな舞台、自ら「シュール・レアリズム的」と形容しているところに驚愕してしまうスーパー歌舞伎の舞台まで、朝倉摂の才能と技術をまざまざと見せつけられる。

この人のすごいところは、実際家・現場の人間でありながら、すっごく抽象的あるいは概念的な部分にまで神経を通わせているところだと思う。「アクリルはすごく重い素材だから全体の重量計算には特に気を払った」と言いながら、完成した舞台は息を呑むような幻想の世界だったりして。

「舞台美術の勉強もしようかなぁ」と軽い気持ちで借りたんだけど、それに留まらず「演劇とは何か」みたいな問いに対してさえ一つの答えを提示してくれたように思う。

コメント

投稿者:りゅーせ (2005年11月26日 23:49)

朝倉摂の名前を見ると寺山修司を思い出します。
そして寺山の名前を見るとサイモン・マクバーニーの
「エレファント・バニッシュ」を思い出します。
役者のサポートとしてのスタッフワークではなく、
役者もスタッフも同じラインでそれぞれに主張していて、それぞれが補い合う。
それをうまく取りまとめ、ジンテーゼを作り出す演出。
そういう芝居が好きですね。

投稿者:Kenichi Tani (2005年11月27日 14:47)

朝倉摂→寺山修司はわかるにしても、寺山→マクバーニーは何故?? マクバーニーは一番好きな演出家なので気になるっす。

投稿者:りゅーせ (2005年11月28日 00:37)

奴婢訓のチラシに「寺山抜きでは現代演劇は語れない」というマクバーニーの言葉が書いてあったんです。
その後に万有引力の公演を観て、エレファント・バニッシュを観たんですけど、
スタイリッシュでデジタルなのに、役者の使い方が非常に寺山的だなぁって思ったんです。
デジタルな寺山って感じに。
ついでに言うとあの作品は「演劇だからできること」の集大成に見えましたね。
上で書いたことを意識したのはこれを観てからです。
なにやら賛否両論だったらしいですが。

投稿者:Kenichi Tani (2005年11月28日 21:43)

へー! マクバーニーがそんなに寺山を評価してたのは初耳。あの人の評論や論文やエッセイ集ってないのかなぁ。去年の今ごろ調べたときにはまだなかったけど、あれだけ有名なんだからそろそろ…と思ってしまう。

エレバニは俺も観たけど今一つって感じでした。マクバーニーの作風から見てもターニングポイントっぽい重要な作品とは思うけど。

投稿者:search engine optimization vancouver (2012年01月13日 09:14)

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