PLAYNOTE マクベスの Tomorrow Speech について

2005年09月27日

マクベスの Tomorrow Speech について

[演劇メモ] 2005/09/27 00:00

公演が終わって十日も経ってまたマクベスのことを書くのも野暮ったいが、これだけはちゃんと書いておきたかったので書く。 "Tomorrow Speech" と呼ばれるマクベスの最後の独白の解釈について。

Tomorrow Speech とはこんな文だ。松岡和子訳『マクベス』(ちくま文庫)より引用(ただし一部改訳してある)

シートン お妃様が、陛下、お亡くなりになりました。
マクベス どうせいつかは死ぬ身だった。
そんな知らせを聞くときがいつかは来ると思っていた――。
明日へ、明日へ、明日へ、
とぼとぼと小刻みにその日その日の歩みを進め、
歴史の記述の最後の一言にたどり着く。
すべての昨日は、愚かな人間が土に還る
死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、束の間の灯火!
人生はたかが歩く影、哀れな役者だ、
出場のあいだは舞台で大見得を切っても
袖へ入ればそれきりだ。
白痴の喋る物語、たけり狂うわめき声ばかり、
筋の通った意味などない。

この一節を演るに辺り、マクベス役の西村は「どうせいつかは…」から「いつかは来ると思っていた――。」までは静かにこの台詞を読んだ。はじめは動揺を押さえるように、そしてやがて、ゆっくりゆっくり地響きのように大きくなっていく動揺が胸を破ろうとするのを感じながら。

その後、西村は声にならない嗚咽・悲鳴に似た叫びを上げ、がくりとうずくまり地を叩いた。その後はすべての台詞を投げつけるように、行き場のない怒りを隠そうともせず雄叫びながら、さらに後半では剣を抜き狂乱の体で振り回し、最後は仇敵に恨みの言葉でも吐きかけるように「筋の通った意味などない」、そう叫んだ。この台詞全体を、叫びのトーンで演じたのだ。

この台詞がこういう形で演じられるようになったのは、俺が西村に「世界全体に裏切られた感覚」、「もがき、苦しみ、生きることの無意味さの中で窒息しそうになりながら」、「だが死ぬ理由もなければ意味もない」、「暴力的なトーン」でやって欲しい、と言ったこともあるが、それ以上に西村の中から自然に涌き出てきてこうなったように感じている。

俺は特に「世界全体に裏切られた感覚」を強調して西村に伝えた。が、「ここで叫びたい」というのは、西村の中から出てきたものだった。

この演じ方は、ぶっちゃけ、評判が悪かった。シェイクスピアに詳しいご年配の方々には。みな総じて「あの台詞は叫んじゃ駄目だ」「とうとうと、静かに」と眉をひそめた。確かに映画なんか見ると大抵そういう演り方してるし、大抵の舞台もそうなのだろうと思う。実際自分も、パンフレットに載せた『ごあいさつ』という文章を書いた頃にはそうやるもんだと思っていた。以下パンフレットの『ごあいさつ』より。

「人生はたかが歩く影」、そう語るときのマクベスの心は信じられないほど静謐で、覚悟や諦念というより悟りに近いものを感じる。(原文の全文は別のエントリーに転載してあります)

ご年配の識者には総じてダメをもらったこのシーン。が、逆にここは、若い世代(主に大学生だが)にはえらく評判がよかった。「涙を誘われた」という人も少なくなかったし、稽古の頃から共演者の間でも「あそこはイイ」と囁かれていた。これは単純に原文がいいからというだけでなく、この演り方、俺と西村という共に20代前半の若者から出てきた演り方が、今の世代の心を打つところがあったからだと思っている。

もちろん同じ台詞を40代・50代の玄人俳優が演るのなら、落ち着いて静かに、ゆっくりと自分の人生を振り返るように演じてもいいのかもしれない。それはわからない。が、20歳前後の自分たちが演る『マクベス』を考えたとき、俺は正直、この演り方以外納得できないし、ぞっこん惚れ込んでもいる(だからこそ、五幕の稽古が本格化する前に書いてその後間違いに気づいたパンフの文章は、できることなら訂正したかったのだけれど)

セオリーや王道、いろはがあるのが古典劇、だが、自分たちがやる以上、自分たちが信じられる台詞回しと感情で演るしかない。若い世代には若い世代なりの『マクベス』がある。俺たちがやる『マクベス』では、この演り方以外考えられなかったのだ。

(追記。終わったあとに繰り返すのも何だけど、「世界全体に裏切られた感じ」といい、マクベスの恐怖・不安・疑心暗鬼といい、やっぱり『マクベス』は自分のメンタリティに一番近い戯曲だなと思う。)

コメント

投稿者:西村俊彦 (2005年09月28日 00:23)

どうも、マクベス演じました西村です。ところどころ、谷の文に解説を入れる形でコメントします。僕のTomorrow Speechが何だったのか。うまく言葉にできるといいな。

シートン お妃様が、陛下、お亡くなりになりました。
マクベス どうせいつかは死ぬ身だった。
そんな知らせを聞くときがいつかは来ると思っていた――。
明日へ、明日へ、明日へ、
とぼとぼと小刻みにその日その日の歩みを進め、
歴史の記述の最後の一言にたどり着く。
すべての昨日は、愚かな人間が土に還る
死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、束の間の灯火!
人生はたかが歩く影、哀れな役者だ、
出場のあいだは舞台で大見得を切っても
袖へ入ればそれきりだ。
白痴の喋る物語、たけり狂うわめき声ばかり、
筋の通った意味などない。

この一節を演るに辺り、僕はまさに、「どうせいつかは…」から「いつかは来ると思っていた――。」までは静かにこの台詞を読んだ。はじめは動揺を押さえるように、そしてやがて、ゆっくりゆっくり地響きのように大きくなっていく動揺が胸を破ろうとするのを感じながら。←谷のこの表現は、まさに僕の気持そのものだ。動揺を押さえようとする理由、第一にシートンは部下だ。部下の前で醜態をさらすわけにはいかない。第二に、シートンのもってきた知らせは、僕が演じたマクベスにとっては「聴くだけで命を」奪われかねないセリフであった。そんな知らせに返答するには、非情にも映るほどの冷たい、静かなトーンで自分をごまかすしかなかった。

その後、西村は声にならない嗚咽・悲鳴に似た叫びを上げ、がくりとうずくまり地を叩いた。その後はすべての台詞を投げつけるように、行き場のない怒りを隠そうともせず雄叫びながら、さらに後半では剣を抜き狂乱の体で振り回し、最後は仇敵に恨みの言葉でも吐きかけるように「筋の通った意味などない」、そう叫んだ。この台詞全体を、叫びのトーンで演じたのだ。
↑まさにこの通り。
「世界全体に裏切られた感覚」、「もがき、苦しみ、生きることの無意味さの中で窒息しそうになりながら」、「だが死ぬ理由もなければ意味もない」、「暴力的なトーン」でやって欲しい。谷の言葉を受けて、僕は演じた。そして考えた。僕の演じるマクベスにとって、Tomorrow Speechとは何なのか。そこで、思い切り叫びたくなった。
シートンからの知らせ、押さえていた動揺が爆発する瞬間、それがどうしても必要だった。長い間、ともに歩んできた夫人の死、その知らせを聞いて、どうして感情が押さえられようか。まして、僕には、僕の演じたマクベスには、夫人の死から「とうとうと、静かに」Tomorrow Speechが出てくるとは思えなかった。
直前の五幕三場、マクベスは夫人のことを医者にたずねる際、「患者の具合はどうですか」、こうたずねる。患者、冷たい響きだ。だが、愛は死んでいないのだ。マクベス自身ではどうすることもできぬ夫人の病。医者に望みを託すしかなかった。
そして五幕五場。夫人の死。ついに、本当に「愛」を失った。
僕の演じたマクベスは、ここで悟りをひらくようなガラではなかった。愛に生きた男が、自分の妻の死を、悟りをひらいて、静かにTomorrow Speechにうつるとは思えなかった。
叫び、ただただ夫人の死を、いつかは来るものだったと自分に言い聞かせるしかなかった。
「明日へ、明日へ、明日へ、
とぼとぼと小刻みにその日その日の歩みを進め、
歴史の記述の最後の一言にたどり着く。
すべての昨日は、愚かな人間が土に還る
死への道を照らしてきた。」
人類普遍の生から死への旅、それを見つめ、夫人の死も、その流れに乗っていったのだ、そう考えて、そう言い聞かせなければ、自分が崩れてしまいそうだった。
「消えろ、消えろ、束の間の灯火!
人生はたかが歩く影、哀れな役者だ、
出場のあいだは舞台で大見得を切っても
袖へ入ればそれきりだ。
白痴の喋る物語、たけり狂うわめき声ばかり、
筋の通った意味などない。」
ここまで言わないと、いや、ここまで言っても、夫人の死はマクベスには重すぎた。どんなに人間の歩みを語っても、夫人の死を自分の中で処理することができなかった。
ただただ、僕の演じるマクベスは、自分の言葉と、夫人を失った気持のギャップに引き裂かれそうになりながら、叫ぶしかなかった。失ったものはもう戻らない。不器用な男は、最愛のものの死を、素直に嘆くことすら出来なくなっていた。口先だけは悟ったようなことを言っていても、心は喪失感でいっぱいだった。
何度も繰り返すが、叫ぶしかなかった。それが僕の演じたマクベスの、マクベス夫人へのラブソングであり、鎮魂歌だったのだ。
そして、迫る敵を前に、全てを失ったマクベスは、この耐え難い喪失感だけをエネルギーに、一人でも多く地獄へ引きずり込むべく出陣する。
戦う意味などなかったのかもしれない。だが、愛を失った男は、世界に、運命を相手に怒りをぶつけるしかなかった。おめおめと自害などして果てては、夫人に合わす顔もない。怒りだけで動くマクベスは空っぽだった。虚しかった。
不器用な愛し方、不器用な生き方しか出来なかった男。それが僕の演じたマクベスなのだと思っている。
そして、不器用な愛の告白、不器用な悲しみ、不器用なラブソング、夫人への愛だけで練られた、世界一下手なラブソング、それが僕のTomorrow Speechだ。

投稿者:Kenichi Tani (2005年09月28日 05:21)

俺と西村、二人の書き込みが揃えばこのエントリーの意味は果たせたかな。たった一瞬立ち現れるだけで、記録も保存もできない芝居ってメディアはおもしれーけどこういうとき寂しくなるね。も一度見返したいもんだ。

>谷のこの表現は、まさに僕の気持そのものだ。
俺と西村は全然別個の人間だし、Tomorrow Speechに関してはそれほど打ち合わせてもいないんだがこういう符合が生じるってのは面白いね。
他の部分に関しても、今日初めて聞いたようなとこが多かった割に奇妙なくらい自分の考えと一緒で驚いた。まぁ嫌ってほど稽古したからなー、この芝居。ベニハシドリ方向で気持ちがリンクしたのは不思議じゃないかもね。

>世界一下手なラブソング
うっひゃっひゃー。

投稿者:Kenichi Tani (2005年09月28日 05:27)

上のコメント書いて気になったので検索してみた。

ベニハシドリ - Google 検索
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&lr=lang_ja&q=ベニハシドリ
→ベニハシドリに該当するページが見つかりませんでした。

…。どうやら「ベニハシガラス」と訳される場合が多いみたい。こんな奴。
http://www.paradisepark.org.uk/choughs/photoalbum/

べにべに。

投稿者:西村俊彦 (2005年09月29日 00:47)

うわぁ、ベニハシドリ…そりゃ、夫がいきなりこの鳥の名前を語りだしたら、夫人も恐怖するよ…。
くちばしが紅色だからベニハシなんだな。ベニベニ。