PLAYNOTE 『マクベス』執筆年代の特定

2005年09月16日

『マクベス』執筆年代の特定

[演劇メモ] 2005/09/16 06:15

シェイクスピアが『マクベス』を書いたのは、およそ1606年頃と考えられています。この推定執筆年が正しければ、『マクベス』はシェイクスピアの四大悲劇(『ハムレット』『オセロー』『リア王』『マクベス』)の中で最も後、シェイクスピア42歳という円熟の年に書かれたことになります。

シェイクスピア作品の執筆年代を推定するには、外的証拠(当時の文書による記録・言及など)および内的証拠(テキストから推察できる情報)の二つが鍵となります。『マクベス』の場合外的証拠は非常に少なく、1623年出版の全集に収録されていること、1611年にサイモン・フォーマンという占星学者がグローブ座で『マクベス』を観劇したことを日記に残していることなどから、1611年以前に書かれたことがほぼ決定できるだけです。

内的証拠にも決定的なものはありません。劇の中盤で登場する門番という謎めいたキャラクターの台詞の中に1605年に起こった火薬陰謀事件や小麦の価格暴落への言及があることや、マクダフ夫人と息子の会話の中にやはり火薬陰謀事件で捕まり1606年に絞首刑になったイエズス会の神父・ヘンリー・ガーネットへの当てこすりがあること、また、1606年に帰港したある船団の航海の状況に酷似する描写が魔女の台詞の中で語られていることなどを考えると、1606年以降に書かれたと推測できます。しかし、再演のたびに台本に手を加えるのは現代でも珍しいことではありませんから、これらの台詞が後から追加されたとする解釈も可能であり、初版は1601年や1603年に書かれていたという説も無視することはできません。

もう一つ重要な検証材料として挙げられるのが、1603年のエリザベス一世崩御の後、スコットランド王室から招かれてイングランド王を兼ねる形で王位に就いたジェイムズ一世と戯曲の関係性です。『マクベス』は、後述する通り11世紀初期のスコットランド王家の史実を題材にとった戯曲であり、劇中に登場するバンクォーとフリーアンスは系図的にジェイムズ一世の祖先にあたります。また、魔女や黒魔術というモチーフは、その存在を固く信じて強い関心を寄せ、1597年には自ら『悪魔学』という本まで著わしているジェイムズ一世の興味を引くものであったはずです。シェイクスピアの劇団は後に国王一座を名乗りジェイムズ一世をパトロンとしていますが、新王の趣向にあわせてこの話を選んだと見ることもできます。

他にも年代決定にあたって考察が必要な事柄は多岐にわたりますが、1606年から前後すること数年の間に書かれたことはほぼ間違いありません。文体や技巧・戯曲の雰囲気なども、悲劇や問題劇を経てロマンス劇へと至るこの時期のシェイクスピアの作風に一致しています。特に「人生はたかが歩く影、哀れな役者だ」という有名な一節は、シェイクスピアが覗き込んだ最も深く暗い人生の闇を語ったものとして、悲劇時代の最後を飾るに相応しいと思われてなりません。

(※この文章は、明治大学文化プロジェクト2005年公演『マクベス』パンフレットに収録されたものの再掲です。)

コメント

投稿者:search engine optimization vancouver (2012年01月13日 09:17)

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