PLAYNOTE A DAY IN THE LIFE

2005年03月15日

A DAY IN THE LIFE

[雑記・メモ] 2005/03/15 00:02

三月末に帰省するつもりだったが、今朝、祖父が亡くなった。死因も何も知らない。ただ、1時32分に安らかに息を引き取ったという静かな事実が、メールに載って届いた。

実感はまだわかない。

今日の出来事

PM10:00
昨夜のハングオーバーで、今朝は遅く起きた。シャワーを浴びてクッキーを頬張り、昼のミーティングへ。
PM12:00
Modern European Theatre では、月曜に二時間程度、生徒だけのミーティングを行い、翌日取り上げる戯曲の一部を実際に試演してみる。今日はアルトー『Spurt of Blood』とジャリ『Roi Ubu』。
ジャリから入ったせいか騒乱的な志向になってしまい、アルトーとは随分離れた気がするが、楽しかった。今回も台詞が多い役を引いてしまった上、ジャリは下読みをしていなかったので読みながら意味を探る始末。反省する。
PM14:00
ネットをチェックしエントリーを一つ書き上げたところでメールに気づく。父母は田舎へ行ったらしい。ちっとも実感がわかず、右の頬をつねってみる。
PM16:00
図書館。スキャナーで明日のプレゼンの資料に使う写真を十枚ほど取り込み、ハンドアウトと原稿の作成。ちっとも気乗りがしないが悲しいわけでもない。ただ、実感がわかないのだ。
PM19:30
ユミの家で Pre-sessional の時のクラスメイトらとディナー。そぼろが俄然うまかった。
マギーやミッキーとはもう何ヶ月ぶりかに話した。会いたい会いたいと思っていたが、別に会ってみると取り立てて伝えることもなく、世間話しかしなかったが、もしかするともう二度と会えないかもしれない二人。音がしないから気づかないだけで、全ての物事は滑るように日々の時間の中で自分から遠ざかっていく。
PM22:00
部屋でウィングスのベスト盤をかけながらベッドで少し眠る。喉が渇く。
PM23:00
ケインズカレッジのPCルームに到着。このエントリーを上げたら、明日の朝までプレゼンの準備。45分くらい時間が割り当てられているが、自分が15分以上喋れる気がしない。

祖父について

妹が生まれてすぐの頃、邪魔なので俺は福島の実家にあずけられた。母方の実家である。俺が初めて喋ったことばは「バス」「アイス」「ジュース」だったらしい。祖父母の家(大きな大きな家だ)の前にはバス停があり、歩いて三分ほどのところにガソリンスタンドがあって、俺はよくそこでアイスとジュースを買い与えられていたらしい。

祖父は警察官の鑑識課に勤めていた。剣道の有段者で県警の大会か何かで賞をとっただか、警察署の剣道場(警察署の中にはそんなものがあるのだろうか?)で講師をしていただか、そんな話を聞いた覚えがある。幼い頃のことなので、ぼんやりしてよくわからない。

定年退職してからも何か保険の仕事か何かをしており、家にいる時は庭いじりが好きで、ジャイアンツの大ファンだった。活力的な人だった。実家の居間には祖父が二十台半ばで撮ったと思しき精悍な写真が額に入れて飾ってある。海軍で出兵したことを誇らしげに語っていた。

五歳くらいの頃、祖父の運転する車の助手席に座っていて(祖父の車に乗るときは必ず俺が助手席に座るのが暗黙の了解だった)、何か行儀の悪いことをしたのだろう、怒鳴られてひどく泣いた記憶がある。母も父も「おじいちゃんは怒鳴るような人じゃない」と言い、俺がそのことを話すと否定するが、何故かはっきりと覚えている。

夏も冬も、長期休暇には必ず実家に帰った。実家から車で二十分くらい行ったところに祖父の馴染みの「ドルチェ」というレストランがあり、祖父はそこで俺にサーロインステーキを食べさせるのをいつも楽しみにしていた。だから俺はドルチェで他のメニューを頼んだ覚えがない。子供心に祖父が自分に一番いい料理を食べさせたがっており、他のものを頼めば少なからず落胆させることを感じ取っていた。その感覚は今でもよく覚えている。

正月と言えば、福島の実家のイメージ。夏休みと言えば、福島の実家のイメージ。だから俺は、よく人に「実家が福島で…」と言ってしまい、福島から上京してきたような誤解を与える。だが事実、俺は祖父母の家の玄関をくぐるときは、必ず「ただいま」と言う。必ず。

祖父は数年前に軽自動車を運転していて、対向車線から来たトラックと正面衝突し、片足を死の世界に突っ込んだ。脊椎を損傷しており、医者はそのときすでに「覚悟をしておくように」と祖母や母に伝えたという。だが、祖父はその気力のせいだろう、持ち直した。

それでも一年近く寝た切りになり、急に気が弱り、痴呆が始まった。昨年末に母が祖父のベッドを訪れたときには、もう娘の顔も認識しなかったそうだ。俺は未だに、あの気丈な祖父が痴呆的退行を見せたということが信じられない。

自分は幼い頃から文字通りのおじいちゃんっ子で、祖父も多くの孫の中でとりわけ・誰よりも俺のことを可愛がっていたから、…言いたいのはそれだけだったみたいだ。

こうして振り返ってみても、古ぼけた写真をフレーム越しに眺めているだけのようで、一つも実感がわかない。葬式にすら行けそうにないから、顔を拝むこともなくの別れだ。あと十日早く俺が帰国していれば、最後に手を握れただろう。だがそれが何になる? 人はある日ふと死ぬのではなく、一日一日少しずつ磨り減っていって、最後にぷつりと切れる、人生とはそういうものだ。

さっきケインズカレッジへ来る道すがら、ある学生寮の前を通ったら、玄関先の電球が切れ掛かっていて、明滅を繰り返していた。明日の朝仮眠をとりに俺が部屋に戻る頃には、あのフィラメントも燃え尽きているかもしれない。何らかの偶然が働いて、煌々と輝いているかもしれない。それはわからない。

昨年末に高校時代の友人を亡くして、偶然だらけ、というより、偶然でしかない人生、ということを考えて、しばしばぞっとする。すべての事柄は偶然であり、「起こるべくして起こった」などとは言えないし、「起こらなくてもよかった」とも言えない。この感覚を何に例えられるだろう? と思い、川面かわもを滑る落ち葉や山肌から崩れる土くれ、図らずもヤモリに当たってしまった小石、いろいろなものを思い浮かべたが、結局のところ、人間そのものより深くこの無常、寂寞感を表し得るものはないと思う。

冥福を祈ります。