PLAYNOTE 串田演出『コーカサスの白墨の輪』、演出と批評について

2005年02月17日

串田演出『コーカサスの白墨の輪』、演出と批評について

[演劇メモ] 2005/02/17 11:28

あちこちで話題になってる串田和美演出の『コーカサスの白墨の輪』。いつも率直でキレのいい演劇レビューをなさってる『ハケン生活者』さんで以下の記述を見つけて、演劇学的見地からちょっと興味がわいたのであれこれ書いてみる。

この作品は、後半はじめのアズダックが民衆の裁判を執り行うシーンで、舞台の周りに観客を座らせたり、ウェーブを煽ったり、最後のダンスパーティシーンで役者が観客席の人々を舞台に誘い、一緒に踊るなど、随所に観客を取り込む仕掛けを盛り込む、サービス精神溢れる舞台だった。

この「観客を取り込む仕掛け」というもの、実はブレヒトがひどく嫌った手法なのです。

このブレヒトの意図を理解するには、まず「叙事的演劇」の概念を知っておかなければならない。

ブレヒトの考えた「叙事的演劇」とは

叙事的演劇はブレヒトと結び付けられて語られることが多いし、実際それを芸術的に完成させたのは確かにブレヒトだけど、元来の提唱者はアーウィン・ピスカトール。ブレヒトは彼に大いに影響を受けながらも、ピスカトールの方法論には異を唱えていた。

ピスカトールは劇中での観客のコミットメントを要求し、ひいては観客が主体的に思考することを願った。それを実現する手立てとして、ある芝居のラストでは、舞台上の事件の陪審員として観客に有罪・無罪を投票させ、その結果で幕切れを変化させる、という手法をとったこともある。

ブレヒトはこれに反対する。ピスカトールの手法は、観客の思考力や社会的行動へのエネルギーを劇中で消費させてしまうものであり、社会を変える原動力にはならない、とブレヒトは考えた。

ブレヒトがいわゆるカタルシスを否定したのは有名だけれど、これも同じ観点から理解できるだろう。すなわちカタルシスによって感情を吐露・浄化しきってしまった観客は、その後、劇場のロビーを出た後に社会に対して働きかける力を失ってしまう。「あーよかった、スッキリ!」になっては困るのだ。観客に対して、登場人物の心情に同化することではなく、それを客観的に観察することを希望したブレヒトならではの発想だ。

(参考: ブレヒトの代表作『肝っ玉おっ母』はよく出来た芝居である。自然主義的に演出すれば、観客は戦争の中で子供らを次々失う母に対する憐憫と戦争への恐怖の情を抱き、カタルシスを得る。が、ブレヒトの演出はこの感情同化を徹底して退け、観客に事件の目撃者として母の愚かさや社会悪への目を開かせることを主眼とする。自然主義的に演出した成功例も多数存在するが、ブレヒトは自信はその方法論を決して取らなかった)

今回の演出について

公演どころかパンフレットさえ目にしてないので串田氏の意図はわからないし、ブレヒトを劇作家としてとらえ、別の演出論から戯曲にアプローチすることは決して否定されるべきものではない。俺自体叙事的演劇の現代的価値には疑問を抱いているし、『正しくも松枝日記』で書かれているように「オリジナルなんてクソ喰らえ的」な串田氏のアプローチはある意味ではカッコいいとさえ思う。

感想と批評

が、こうも正反対のアプローチがなされたなら、その点に言及した前置きや批評がきちんと配置されないと、ブレヒトという20世紀最大の劇詩人への誤解が広く浸透してしまう恐れがある。ましてや松たか子・毬谷友子なんていう人気・実力ともに一番手の役者が出てて、全国巡業までしてる話題作となれば影響力は計り知れない。世田谷パブリックシアターという劇場の性質を考えても、批評的な態度はあっていいんではなかろうか。

ネットの劇評をざっと見ても、「ラストの大団円」『しのぶの演劇レビュー』「最後はもちろんハッピーエンド」『ぼなぶろぐ』「終わったあと気持ちのよい芝居」「至福のひととき」「参加型の最高に楽しい芝居!」『えんぺ一行レビュー』など、ブレヒトが聞いたら握り拳を震わせて怒りわななくだろうなぁというものが大半。ちょっとぐぐっただけだけど、ブレヒトの意図を語っているものは発見できなかった『AND SO ON』にちらっとそんな記述が)

くれぐれも注意して欲しいが、「面白かった!」「ハッピーなお芝居!」というレビューが悪いと言ってるわけではない。というか、イチ観客としてはそれが一番いいレビューだと思う。が、「感想」と同時に、「批評」があって然るべきではないだろうか。

私見だが、日本では演劇に対する「批評」というジャンルが満足に機能していない。日本にも素晴らしい演劇評論家の方が大勢いらっしゃることは重々承知だが、活躍の場が十分に与えられていない。イギリスに滞在する身としては、初日の一週間後までには新聞各紙にずらりと喧々諤々の「批評」が出揃うこちらの演劇批評事情の豊かさだけは、何としても羨ましい。

感想と批評は、似ているようで全く別の仕事だ。どっちが上とか下とかではなく、どちらもがそれぞれ別の有意義さを持っている。ブログ登場以後、ネットにレビューが溢れるようになって久しいが、日本での「劇評」の活躍の場は、いつ、どうやって準備されるだろうか? 日本演劇界の一つの課題だと自分は思っている。

今回の串田演出も、ブレヒトの演劇論と切り離して一個の芸術作品として評価すると同時に、あえてブレヒトと正反対の方向性をとった串田氏の意図、そしてそれが広く受け入れられているという事実、ひいては日本におけるブレヒトの受容性、いくらでも批評の余地がある。演劇がエンターテイメントであると同時に芸術であり、文学であり、文化的活動である以上、批評の役割の欠如というのは致命的なことのように思える。「感想」の波に埋もれて目立たないアート系カンパニーの発掘なんかはそれこそ批評家の仕事だし、ひいては今後の芸術振興の鍵とも言えるだろう。

ずいぶん話が膨らんだので、とりあえずここまで。書きたかったのは、「串田演出は串田演出としてそれなりの成功を収めたようだけど、ブレヒトの意図は別にあった」ということと、「ネットやメディアにもっと『批評』があっていいんではないか」ということです。

コメント

投稿者:しのぶ (2005年02月17日 13:30)

日本演劇界(演劇界に限らずあてはまりますが)に批評が存在し得ていないのでは?という考えには、ほぼ同意です。私自身は自分のHPで批評を書いているつもりはありません。「ラストの大団円」は、実際に大団円になっていたから書きました。表に出ていたのがブレヒトじゃなくて完全に串田さんだったから、ブレヒトについて、なんて頭が動かなかったよ。少なくとも私の周りではこの作品は不評でした。俳優座の『三文オペラ』も観たけどNGだったし、なかなか難しいのかな、今の日本でブレヒト。また探します。

投稿者:ふゆ。 (2005年02月17日 13:51)

トラックバックありがとうございます。と同時に汗顔の至りです。
「見たかったのに見られないよぉ!」とジタバタしているだけの、演劇論のかけらもない記事でしたのに。
ブレヒトについてはうろ覚えで書いただけでしたので、とりあえず間違っていなかったようでよかったです。

投稿者:Kenichi Tani (2005年02月17日 13:52)

どうも書き方が難しくて気分を損なう書き方になっていたらごめんなさい。文中にもある通り、ネットレビューが批評の役割を担えと言ってるわけではないので、しのぶレビューに関してもあの通りの文体・スタンスで良いと思います。

演劇以外の分野は門外漢ですが、書評や映画評、あるいは世評なんかは日本でも十分に存在してると思うんですよね。演劇は産業として小さいからメディアに出づらい、するとメディアはプロを雇わない&育てないで、現状はそう簡単には打破できない気がします。

>表に出ていたのがブレヒトじゃなくて完全に串田さん
この辺はあちこちのレビューを読んでも手に取るようにわかりました(笑)。ここまで大胆に色を変えてしまうという意味では、串田さんの演出力に素直に驚嘆します。

「日本でブレヒト」は難しいんじゃないかなーと個人的には思います。文中にも書いたけど、俺はブレヒト演劇論の現代的価値には懐疑的です。租借して応用する分には魅力的でパワフルなものだと思うけれど。確かにアリストテレス以後、最も演劇に対する価値観をドラスティックに変えたのはブレヒトかもしれない。

投稿者:Kenichi Tani (2005年02月17日 13:59)

>ふゆさん
うろ覚えと仰る割には短く的確にブレヒトを言いえてると思いますよ。僕は文章書くととにかくごちゃごちゃわかりづらくなっちゃうので、ふゆさんのような文体を見習いたいです。

投稿者:しのぶ (2005年02月17日 14:45)

音楽業界には完全に批評がないと、音楽業界の人から聞いています。全て「宣伝」になっているそうです。日本の劇評もその色が濃いと思います。気分は害していませんよー。こちらこそ気を使わせてごめんなさい。

投稿者:Kenichi Tani (2005年02月17日 15:36)

へー、雑誌数も多いしいくらかマシかと思ってたんだけど。

>全て「宣伝」になっているそうです。
裏づけ取れてないから書かなかったけど、新聞の劇評なんかもその匂いが濃い奴多いよね。劇評かと見せかけて、こんな芝居やってるよっていう。

投稿者:マツタコ管理人 (2005年02月17日 23:20)

はじめまして。
非常に興味深く読ませていただきました&勉強になりました。。
実際に「コーカサスの白墨の輪」に参加したものとして、
自分にもたらされた感情を思い起こして、
自分のblogに書きましたので、TBさせていただきました。

私は、某役者のファンであることから演劇を見ているので、
多くの演劇作品を観てきたわけではありませんが、
よければただの一観客の「感想」をみてください。

「もっと批評が必要では?」という主題とズレていてすみません。

投稿者:Kenichi Tani (2005年02月18日 12:17)

ご謙遜なさっていますが、実に深く丁寧に観客としての心理を追っていたので参考になりました。「意外にもブレヒトの異化に近いのではないか」という指摘は興味深いです。この辺は実際に舞台を観てみないと何とも言えないですし、僕が↑で書いたこともレビューを読んでの私見ですから実際の上演の批評としてはかけ離れているところもあるかと思います。

トラックバックを送ってこういうディープな反応が返ってくるのはブログ冥利につきますね。ありがとうございました。今後、マツタコさんのところも購読させていただこうと思います。

投稿者:afro walk (2005年04月09日 17:13)

はじめまして。TBさせていただきました。
記事を大変興味深く拝見いたしました。
確かに感想と批評と言うのはスタンスがまったく違ってくると思います。
私は本当に個人的な感想として「おもしろかった」と思いました。
舞台を見るのは何十年ぶりという母も、しっかり串田和美さんの演出世界にはいりこんでいたようです。
「舞台おもしろいね。また観たい。」と言っていました。
ブレヒトの意図というものをこちらでしっかりと知る事が出来ました。
またじっくり他のコラムも読ませていただきます!

投稿者:Kenichi Tani (2005年04月11日 00:35)

拙文、随分と誉めて頂いて恐縮します。お母様の、「舞台おもしろいね。また観たい」、いい言葉ですね。僕はこの言葉をお客さんに言ってもらいたいがために芝居をやってる気がします。

ではまた afro walk さんがいい舞台に出会うことを祈って☆

投稿者:中村隆一郎 (2007年05月18日 16:35)

最近ふらふらあちこちのぞいているのですが、面白い劇評ですね。感心して読みました。
この劇は、「プロローグ」を飛ばしてしまったようですよ。だから分かりづらかった。