2005年02月03日
想像を絶するブレヒト演出
ブレヒトが能の台本を元に書いた芝居がある。"The Man Who Says Yes" "The Man Who Says NO" という対をなす二つの戯曲で、ブレヒトの初期の教育劇として割と有名なもの。世阿弥の娘婿にあたる金春禅竹が書いた『谷行』という曲を元に書かれている。クルト・ヴァイルが曲をつけ、学生向けのオペラとして完成された。
これ、授業で触れる際、ぜってー「ヘイ、ユー・ジャパニーズ! ワッツ修験者? ワッツ谷行?」とか聞かれるに違いない、と先読みしてちょっと検索してみたんだけど、したら何かとんでもない上演記録が残っていた。
問題の芝居は、2000年4月に『無条件降伏委員会』によって上演された、『イエスマン(The Man Who Says Yes)』と『ノーマン(The Man Who Says No)』の連続上演。フランス演劇研究者の佐藤康氏が残した劇評に、詳細な記録が残っていたので引用します。
二つの劇は、途中まであらすじは同じ。病気の母親に薬を届けようと困難な旅の一行に加わった少年。だが、山中で具合を悪くし、動けなくなってしまう。ここからが分岐が起こる。『イエスマン』での少年は、「旅の道中、力尽きた者は置き去りにされる」という掟に従い、谷底へ身を投げる。だがしかし『ノーマン』で少年は掟の行使されることを拒否し、新しい掟を打ち立てることを要求する。
因習に『然り』というもの・イエスマンと、『否』というもの・ノーマンの対比。教育劇です。
問題の劇は、前半の『イエスマン』の頃は特に何事もなく普通だったみたいなんだけど、『ノーマン』に入った辺りからおかしくなってきた模様。
…途中からちょっと雲行きが怪しくなります。病気の母親の場面で、上から下りてくる「仏壇」。応援団風の男達は東京農大の「大根踊り」をはじめます。最後に、舞台上に大根が散乱します。
ブレヒトに応援団員と大根踊りが出てきました。
意味がわからないまま『ノーマン』が終わります。しかし芝居はまだ続く。
「ノーマン」が終わると、ボロを纏った男が舞台袖から現れて、森進一の演歌が流れ、マクドナルドの幟を畳に敷いた座敷が下手から運ばれてきます。その座敷はちゃぶ台が載せられていて、そこには桶にそうめんが入っています。その男と、それからふんどし姿の「母親」(男優)、やはりボロを着た「少年」の3人が、ひたすらそうめんを、食べます。延々、食べます。そのうちにふたたび、そうめんを食べながら「ブレヒト」が始まります。前と同じようなヴァージョンです。
森進一まで出てきた。「マクドナルドの幟を畳に敷いた座敷」
ってにわかには想像できないんだけど、どんなんなんだ?
終わり方はこうです。
座敷が片付けられて、山道の場面に入っても、少年はまだそうめんを食べています。その間、芝居が中断された形になります。で、結局これは「イエス」のヴァージョンに落ち着きます。で、最後はぜか、みんなでパーカッションに合わせて踊っておしまいでした。
結局意図は何にも解明されなかったみたいです。
流れを整理すると、
イエスマン → ノーマン(応援団+大根踊り) → 森進一とそうめん → イエスマン(withそうめん) → パーカッションと踊り → 幕
みたいな感じかしら。アバンギャルドだ。客席にいたら笑い転げてるか怒りに拳を震わせてるかどっちかだろう。
劇評をお書きになった佐藤氏は、完全に後者だったようで、文章をこう結んでいます。
演出家はいったい何を考えているのか。そもそも彼らのやったこと演劇なのか。きわめて水準の低い意識の産物であった。
ブレヒト本来の戯曲の主題は、「共同体・社会の中で圧殺される個人」あるいは「因習との決別と新秩序確立への要求」とでも言うような、極めて社会的なもの。1930年のドイツというTPOを考えると、この二つの主題の深刻性はいや増しにも増す。わけだ。
実際に舞台観てないから何とも言えないけど、わざわざブレヒト取り上げてこれやった意図は何だったんだろう? 単純に↑の情景だけ想像してみると爆笑モノだけど、チケット買って客席にいたらどういう気分だったかしら。
何かご存知の方、いらっしゃいましたら情報をお待ちしております。
Trackback
Trackbackしようぜ
この記事に関連する記事を書かれた方は気軽にトラバって下さい。
Trackback URL: http://www.playnote.net/mt/mt-tb.cgi/343






コメントを投稿する