PLAYNOTE ピナ・バウシュとダンスシアターについて書いたよ。

2005年01月13日

ピナ・バウシュとダンスシアターについて書いたよ。

[演劇メモ] 2005/01/13 12:48

ピナ・バウシュとダンスシアターについてエッセイを書いたよ。2500 words。

ここには載せない。ちょっと自慢できる出来ではないので。が、あれこれアーティクルを読んでるうちに、バウシュのあのバカバカしいけど物哀しい、ハッピーだけどメランコリック、な何とも言い難い世界観についてあれこれ考えたのでメモ代わりに書いておく。

エッセイテーマは「演劇とダンスの境界を越える際にバウシュが犯したリスクと、それによって得られた audience experience (観劇体験? 訳しづらい)について述べよ」みたいなつまんねー奴で、かつイギリスのダンス演劇グループ・DV8(彼ら自身は"Physical Theatre"と自称)も交えて、というもの。とはいえDV8に俺は全く芸術的感興を感じないので、DV8はほぼ無視して書いた。

ジャンルの境界をまたいだ、という点に関しては、もう三十年も前の話しだし今となってはさほど驚きもないけれど、当時の観客が味わったであろう衝撃はわかる。バウシュを「アンチキリストだ!」と唾棄した人もいたそうだし、ステージ登って小道具のバケツに入ってた水をぶちまけて帰った客や、反感はかなりのもの。ウッパタールなんていうドイツの地方都市からスタートしたわけだから、こういう狭量な反応も理解できるが。

むしろ俺はバウシュが演劇における手法、台詞や身振り手振りによる演技を取り入れながらも、演劇の中核ともいえる、そしてダンスにおいても縦糸といえる「プロット」を置き去りにしたことに興味を覚える。

『青ひげ』や『マクベス』をテーマにした舞踊を作ったりもしてるけど、それですら物語は触媒として利用するだけで、強烈な想像力で独自の世界を展開してゆくバウシュ。稽古はバウシュとダンサーのプライベートな内容を含む問答から始まり、ダンサーはダンスか会話でそれに答えていく。そこから抽出した要素を並べていき、シュールレアリスティックとすら言える筋のない、だが強烈なイメージを観客に残すダンスを展開する(ダンス、って言ってもその間に役者がぼそぼそ喋ったり鬼ごっこ始めたりするわけだけど)

これはプロットからの解放であると同時に音楽からの解放でもある。物語と音楽があって、それに振りをつけていく古典バレエの作り方とは決定的に異なるわけで、実にポストモダン的な手法。プロットからでも音楽からでもなくダンサーの記憶、身体へのコンプレックス、エモーショナルな即興ダンスから生み出された作品は、物語という虚構にではなく人間の身体的歴史に根付くものであり、物語も一貫した音楽もないため漠然としていることも多いものの、エッジのきいた極めて色彩の強いものになる。理性ではなく感情直撃というか、観客は物語を理性的に介するんじゃなくて、提示されたイメージや言葉から自分の感情や記憶に対峙することを余儀なくされる。舞台上の表現を通して観客が見るものは、己の内面から湧き出る想像と記憶なのだ。

と、大仰に話せばこういうことになるだろうけど、それ以前にバウシュの作品はきれーなわけだ。ビューティフルなわけだ。古典バレエのダンサーとしての訓練も積み優秀な成績で奨学金を得てNYに渡り、ドイツ表現主義やポストモダニズムのダンスとの接点もあったバウシュ。その辺のバックグラウンドからくる彼女の振り付けは、例えそれが日常的な動作や指一本の動きであってもどこかに美が潜んでいる。

とは言え俺は「モダンバレエ>古典バレエ」、みたいな偏った価値観は持っていない。いやむしろ古典バレエの中にこそ、最も芸術的な、根源的な要素が潜んでいるように思う。エッセイではマリウス・プティパとケネス・マクミラン(厳密には古典とは言えないが)に触れただけだけど、いずれも音楽や物語から想像力を喚起しているとはいえ、その表現はもっとユニバーサルな、人間存在の根源に触れるものを持っているように思う。

しかし、現代の中に題材を探したとき、ロミジュリみたいな大袈裟な恋愛悲劇やマノンみたいな強烈な生命力を放つファム・ファタールを見出すのは難しい。ダンサーの身体性からも離れてしまう。そこであえてダンサーに演技を要求するのではなく、ダンサーを素っ裸にすることによってダンスを作る、という発想をした点にこそ、バウシュの現代的振付家としての偉業があるように思う。そして、クロスバウンダリーなんて待ってりゃ誰かがやっただろうけど、彼女の美的感覚、空間演出、そしてその怪物的な想像力と発想は彼女特有のものだ。そこだ! と書いた。エッセイタイトルからずれるため評価は低いだろうけど、つまらないことを 2500 words も使って俺は書けない。

最後にバウシュの有名な言葉。「私は、ダンサーがどう動くか、ではなく、何がダンサーを動かすか、そちらの方に興味がある("I’m not interested in how people move, but in what moves them." )振付家としてのスタンスがよく現れた言葉だ。ビデオはしこたま見たけどまだナマは観てないので、次に来日でもしてチケットが安かったら(重要、バウシュ高すぎ)観ようかな。