PLAYNOTE イギリス現代作家、マーク・レイブンヒルについて

2004年11月05日

イギリス現代作家、マーク・レイブンヒルについて

[演劇メモ] 2004/11/05 17:59
ポートレート
むちゃくちゃ強面です。

サラ・ケインと並んでイギリスの In-yer-face Theatre を代表する若手作家。ご覧の通りゲイで、描く作品の主人公も軒並みゲイで、どの作品にもまず間違いなく同性愛のシーンがあって、ゲイ作家? と思うだろうけど本人は否定する。

「お客はもう誰もゲイのカミングアウトやエイズ絡みのプロットを望んでないよ」
「これからは舞台上でも普段やるようなアナルセックスをしよう。頻繁で、楽しんでする奴をさ」

知的で皮肉に満ちて、抜群に笑える状況設定でコメディを描く一方、過激でありながら哀しげな独特のタッチの性暴力描写で観客の血の気を引かせる。ロンドンのどうしようもなくダメな若者たちが社会や恋人との軋轢に苦悩する無様な姿を克明に描きながら、ペシミズムでなくむしろ明日への希望さえ漂わせて幕を引く。レイブンヒルは本当に奇妙な作家だ。

マーク・レイブンヒルに初めて感動したのは、『Shopping and Fucking』でのルルの面接シーン。俳優訓練受けたんなら何かやってみせろと言われ、チェーホフ『三人姉妹』の有名な一節、「働いていかなくっちゃね」をやってみせるルル。上着を脱げと要求するブライアン。ためらうルル。が、仕事は欲しい。でもためらうルル。しぶしぶ上着を脱ぐと、中から盗んだ冷凍食品がこぼれおちて万引きが露見する…というプロット。

ためらいは恥じらいかと思ったら、単に万引きがバレたくなかっただけ。しかもチェーホフのあの感動的で崇高な場面(と一般的に認識されている箇所)を朗読してる最中にこんなことをやってる。どうやったらこんなおっもしれー状況が描けるんだ、と素直に感動した。

90年代演劇シーンの中で「恐るべき寵児」とか呼ばれてたレイブンヒルだけど、その過激な暴力描写と現代サブカルチャーへの言及を除けばむしろ古いタイプのモラリスト作家。評論家もレイブンヒルの現代社会への問題意識や深い哀しみと同情に満ちた視点を高く評価してる。嗜虐とモラル、シビアな問題意識とオプティミズム。この相反する要素が共存するところにもレイブンヒルの魅力はある。

意外とまじめ。2001年くらいにナショナルシアターで上演した『Mother Clap's Molly House』は下調べに三年の歳月をかけたというし、一人でだーっと書くより俳優たちとのコラボレーション、ワークショップの中で少しずつ戯曲を書き足していくスタイルを好んだり。強面だけど物腰は柔らかで謙虚なくらいだそうな。

描く作品もまじめ。こんな指摘が。

『Shopping and Fucking』のタイトルの中で本当に恐ろしい単語は実は後者ではなく、伏字にされていない、ありふれた前者の単語の方である。レイブンヒルの描く世界は、己の富を空威張りするかのように浪費を繰り返す我々の現代文化の底辺の姿だ。そこでは幸福は日用品の後ろに置かれ、市場経済の理論が絶対的に君臨している。

事実、『Shopping and Fucking』は現代社会から疎外され、このしっちゃかめっちゃかな世界でどうやって生きていいのかわからない若者たちの物語。ロビーの台詞を拙いながら訳してみた。

「何て言うか…、俺たちはみんなさ、物語が必要なんだよな、何とかやってくために、それが要るんだ。昔はさぁ、大昔は、でーっかいお話があったわけじゃん。すっげーでっかくて、その中で一生暮らせるような。運命とか神さまとか。文明とか知識とかの発達とか。社会主義の大行進とかさ。でも、みんな死んじまった。いや、それとも俺たちが大人になったのか。ボケちまったのか。忘れちゃったのか。わかんないけどさ、今それで俺たちは自分で自分のお話を考えてやらなきゃいけなくなっちまった」

敵も見えなければ向かうところも見えない、そういうポストモダニズム的な不安、浮遊感、そういった中で生きていて、エクスタシー打ったり行きずりのセックスしたり頭がぺちゃんこになるような大音量でトランスやハウスかけてひたすら飲んで踊って、そういった形でしか生きれない実存への compassion (訳せん)が、レイブンヒルの中に確かにある。

戯曲の日本語訳はおろか、まともに紹介してるページもない。研究者か英国滞在の経験がある人しか知らないだろう。ぐぐるとわずか8件、うち四件がうち。絶対に絶対に日本語訳は出ないだろうし、こんなん日本で上演してもちっとも共感を呼ばないだろうけど、マーク・レイブンヒル、面白いよ。

参考リンク