PLAYNOTE アントナン・アルトー『Theatre and Its Double』

2004年10月24日

アントナン・アルトー『Theatre and Its Double』

[読書] 2004/10/24 23:32

『演劇とペスト』『残酷演劇のマニフェスト』など、アルトーが書き残した演劇に関する小論を集めたもの。詩人としても「ランボー・ボードレールの正当な後継者」などと高く評価されていたアルトーだけに、決して読みやすいものではない(っていうか何度もキレそうになった)けれど、演劇における自然主義を嫌忌して、映画や詩が到達し得ない演劇独自の可能性を追求した、という意味では、発表後七十年を経た現在でも十二分に読む価値のある本だと思う。

最近終始考えていること。

「じゃあ演劇に何ができるのか?」

正直言ってほとんどないわけだ。いいドラマが見たければTVでも映画でもいいし、断然安い。手間もかからない。誰が数千円のチケット代を払って、電車を乗り継ぎ、座り心地の悪い椅子に窮屈に収まって、ろくに訓練もしていないアマチュアの芝居を観るというのか。一部のマニアだけである。俺みたいな。

アルトーは映画俳優の経験もあったし詩人としていくばくかの名声もあった。が、アルトーは、自分のうちに渦巻く感情を詩や映画では表現し得ないことを発見し、演劇の世界に身を浸した。そこでアルトーが探求したことは一つ、演劇にしかできない表現だったわけ。

『残酷演劇』って何なのか? 俺にもよくわからない。アルトーがこのアイディアを得たのが1930年。その後、彼が手がけた舞台は1935年に上演された『Les Cenci』ただ一つだけで、それさえも経済的な事情や俳優の至らなさ、アルトー自身の誤算・手抜かりも手伝って、到底満足のいく出来ではなかったらしい。つまりアルトーは、自身の演劇理論を十分に実践・追求する前に死んだのだ。

そのため本書に収録されている彼の演劇理論も、多分に観念的なものである。俺は観念的な演劇論を信じない。というか理論なんかクソくらえだ。演劇を測る尺度は理論でも評論でも科学でもない、観客だけだ。が、この本に書かれていたものに、何かすごく触発されるものが多かったのも確かだ。

アルトーは1935年の舞台の失敗後、十年近く精神病院に収監された後、1948年に死んだ。

アルトーの著作はピーター・ブルック、グロトフスキー、ムヌーシュキンなど20世紀後半の著名な演出家にことごとく影響を与えているのみならず、ピナ・バウシュやモーリス・ベジャールなどの舞踊家にもリスペクトされている。アルトーの残酷演劇のアイディアは、演劇の枠を飛び越えてパフォーミング・アート全般にその影を落としている。

アルトーが本書の中で紹介している実際的な手法は…、正直、ちょっと古いと思う。が、その根底に流れていた精神、演劇にしか創出できない言語への希求、これこそこの一世紀間いくどとなく繰り返し問われてきたもの。

すごく刺激になったし、面白かった。

(追記: 読みながら「何だよこの比喩ぜんぜんわかんねーよ!!」と何度もキレそう&泣きそう&くじけそうになり、無性に腹が立って、「アルトーが何だ、俺の方が偉い」とでかでかとページの余白に書き込んでやった。ちなみにp68。今でもそこを見ると青ボールペンでそう書いてある。おかげで読み切れた)