PLAYNOTE カフカとプラハ

2004年09月08日

カフカとプラハ

[読書] 2004/09/08 09:00

カフカの友人ヨハネス・ウルズィディルは、「プラハはカフカであり、カフカはプラハである」なんて言ったらしいが、行くまでそんな言葉これっぽっちも信じてなかった。

が、プラハを歩いて考えが変わった。カフカの文学とプラハ、確かに底通するものがある。

プラハの市街地に足を下ろして初めに感じたのは、硬く強張った人々の表情だった。疲労、諦観、自棄。そんな単語が頭をよぎってから、カフカ=プラハの等式が頭の中に再度ひらめくまで、そう時間はかからなかった。

大通りから一本それて、薄暗く静かな小道へ入り、歪曲した路地を歩く。華やかで美しい芸術の都・プラハの違った一面であると同時に、カフカの文学に渦巻くあの薄暗い不安感が頭をよぎる。この路地を歩く感じ、カフカの物語の中で方向感覚を見失う感じによく似てはいないか?

カフカはユダヤ人のゲットーで育った。だがカフカはユダヤ人としてもチェコ人としてもアイデンティティを持たず、礼拝に通わずドイツ語で文学を綴った。チェコ、プラハという郷土と文化がカフカを育てたのではなくて、そこから切り離された魂、父親や結婚といった家族関係からも逃げ続けた彷徨の結実、それがカフカなのかもしれない。

カフカの生家も訪れたが、単なるショップになっていた。入場料を払わされる点と壁にかかったいい加減な略歴を載せたパネルの存在が普通のショップと異なる。黄金小路と呼ばれる路地にあるカフカの仕事部屋も訪れたが、こちらは一切カフカへの愛情も敬慕も感じさせぬ単なるショップになっていた。

もっともカフカ的な場所は生家でも仕事場でもなく、墓だった。プラハ市内の地下鉄に乗り、Zelivskehoという駅を降りて目の前にあるユダヤ人墓地の中にカフカは眠っている。月・火・水・木・日曜の9:00-17:00と、金曜の9:00-14:00に入場が許可されている。墓にはいくつかの花とキャンドル、謎の手紙が多数置かれていた。

コメント

投稿者:Jak se mate? (2011年10月22日 23:41)

 チェコが好きで幾度となく訪れているが、必ず迷子になってしまいます。プラハ特有の薄暗くて人気のない街路を彷徨うたびに、人生の不条理、不安、そしてカフカがかつてこの街で彷徨うように生きていたことを感じます。
 いやカフカの魂は浄化されずユダヤ人街で生きていそうな気がする。