PLAYNOTE 現代日本文学館『太宰治』

2004年07月25日

現代日本文学館『太宰治』

[読書] 2004/07/25 18:52
現代日本文学館『太宰治』
定価638円

「もう英語いやだー」といって日本から送ってもらった和書のうちの一冊。太宰は中高で一通り読んだが、読み返して「自分よりダメな奴がいる」ことに勇気を得ようと購入。

太宰治の軽快な文章のリズムと、地を這うような卑屈さが好きだ。読みやすい上に卑屈でドロドロしてるから、気軽にダメ人間感を追体験できる。

この「現代日本文学館」シリーズは、たった638円で太宰の代表作がほぼ網羅されているお買い得な一品。注釈も鬱陶しいくらい親切で、相当おすすめ。

現代日本文学館『太宰治』
斜陽、人間失格、ダス・ゲマイネ、満願、富岳百景、葉桜と魔笛、駈込み訴え、走れメロス、トカトントン、ヴィヨンの妻、桜桃

太宰は私小説作家とみなされることもしばしばだけど、内心ではずっと「読者へのサーヴィス」を意識し、おもしろい物語を書くことに執心していたようだ。青空文庫で読める『如是我聞』というエッセイにその辺の心情は詳しい。「ためになる。それがなんだ。」と毒を吐き、作品の娯楽性を「おいしさ」、それを実現する作者の苦心惨憺を「料理人の気配り」と表現し、あれこれ書いている。

他にも『如是我聞』では、「小説の神様」こと志賀直哉をクソミソにけなしていて相当笑える。一部抜粋。

 どだい、この作家などは、思索が粗雑だし、教養はなし、ただ乱暴なだけで、そうして己れひとり得意でたまらず、文壇の片隅にいて、一部の物好きのひとから愛されるくらいが関の山であるのに、いつの間にやら、ひさしを借りて、図々しくも母屋に乗り込み、何やら巨匠のような構えをつくって来たのだから失笑せざるを得ない。

 今月は、この男のことについて、手加減もせずに、暴露してみるつもりである。

雑誌の連載で「思索が粗雑」「教養はなし」「ただ乱暴なだけ」と書き殴り、さらに筆の勢いは収まらず、「手加減もせずに、暴露してみるつもりである。」なのだ。すごい馬鹿。これだから太宰治はたまらない。

他にも青空文庫には主要作品がほぼすべてそろっている。ディスプレイで読むのはしんどいけど、『走れメロス』『桜桃』くらいなら何とかなるかな。

中学校の教科書で読んでそれっきり、みたいに扱われ勝ちの『走れメロス』だが、よく読み返してみると凄まじく面白い。テーマは「友情」「信頼」とされるが、それも太宰治の持病である人間不信の裏返し。メロスが諦めて「正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。」と独語する場面の、作者の水を得た魚の如き鮮やかな運筆を見よ。永遠にメロスやセレヌンティウスになれないと知りつつ抱いてしまう信頼への憧れ、それゆえ太宰はこんな作品を書いたのだろう。

人を信じられずに悪政をしく王様が太宰自身の仮託であることは言うまでもないが、「わしをも仲間に入れてくれまいか」と言った後、たぶん三ヵ月後にはまずメロス、続いてセレヌンティウスを処刑して、元に戻るとみて間違いない。だって太宰だもの。

みんな知ってるから『走れメロス』について書いたが、個人的には『斜陽』『桜桃』がベスト。特に『桜桃』において作家の生き地獄を生々しく切り出した鋭利な筆遣いには感嘆する。リフレインを用いた文章のリズムも美しい。

まだ読んでない人がいれば、完全に大人になりきる前、若さゆえの反骨心とロマンチシズムを失わないうちに是非読むべし。個人的にはヤケ酒の意味を理解し始めた大学一年生くらいが推奨年齢だと思う。おもしろいよ。

追記: 太宰治の駄目っぷりを端的に表すエピソードをWebで発見。引用する。
http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana/hondana20001023.htmより

壇一雄がらみでは、太宰治の話がおもしろい。太宰が熱海の旅館で金が無く困っていたため、太宰の内妻・初代が、壇に旅費込みで70数円を渡して届けてもらったことがあったそうだ。壇が熱海に行くと、太宰はその金で壇を誘って高級天ぷら屋で豪遊して28円70銭を使い、さらに3日間飲んで女を買って、全部遣ってしまった。太宰は「菊池寛に借りてくる」と壇を人質に残して東京へ行った。それっきり10日経っても帰ってこない。その間、壇は旅館に軟禁状態だったが、業をにやした料理屋の主人と壇が太宰を捜しに行ったら、荻窪の井伏鱒二の家で太宰は井伏と将棋を指していた。さすがに壇が怒ると太宰は「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」と言ったそうだ。太宰の熱海での借金は総額300円ほどになっており、一部を佐藤春夫が払い、井伏鱒二が立て替え、残りは初代が着物を質に入れて払った、とのこと。ひどい話である。

太宰が「走れメロス」を書いたのが、この4年後である。太宰治作品では一番ポピュラーで、小学校の国語教科書にも載っている。後年、壇は嵐山に「おそらく、自分の熱海行きがこの小説の発端じゃないかな」と、天ぷらを食いながら語ったそうだ。太宰がメロスで、壇がセリヌンティウス、料理屋主人が王様ちうところか。セリヌンティウスと王様が戻らぬメロスを探しに行ったら、メロスは荻窪で将棋を指していた、ちうわけだ。これでは、小学生に教室で読ませる小説としては、おもしろすぎるし、ちょと難解であろう(笑)

コメント

投稿者:しのぶ (2004年07月26日 03:15)

「完全に大人になりきる前、若さゆえの反骨心とロマンチシズムを失わないうちに是非読むべし。」か。
だったら私は読まなくていいのね~ん(笑)。
こんな私ですが「人間失格」は大好きです。

投稿者:Kenichi Tani (2004年07月26日 08:38)

しのぶは反骨精神はどうだか知らんけどロマンチシズムの塊じゃないか。まだまだ子供だな。

「人間失格」は好き、ってのもちっとわかる気がする。葉ちゃん(主人公)みたいなデレスケ、好き?

投稿者:しのぶ (2004年07月26日 16:18)

彼のような人を「デレスケ」と呼ぶのですか?
好きかと問われたら、好きではない!と答えます。
でも、タイプです。きっと。
そばに居たら惚れているでしょう。
ただ、私は大人なので(力説)
そういう人には近づかないようにしています。ふふふ。

投稿者:Kenichi Tani (2004年07月28日 00:05)

ダメな男に惚れる女は世の中にごまんといるけど、考えてみればダメな女ってそんなにいないね。でもダメ女にアピールがあるかといえばそうでもない気がする。

頑張って大人な姿勢をキープしてね。

投稿者:1058 (2007年03月22日 18:29)

30代も後半になって、もう一度太宰の作品を読み返してみた。しかも、遺作となった「人間失格」から逆に読み返してみると、10代に読んだ時とまるで違う印象を受けた。熱い友情物語だとばかり思っていた「走れメロス」も実は太宰自信の心に宿る善と悪、罪と誠を残虐な王と誠実なメロスに置き換えて表現している事に気付いた。また「富嶽百景」では実にのびのびと、爽やかなまでの固定観念、一般常識へのアンチテーゼを表現していて、そのユーモアに私も感銘を受け、読み終わった後、痛快な気分になった。(今では太宰作品の中で一番だと思う)「カチカチ山」ではものぐさ狸と自分の境遇が妙にダブってしまい哀愁を感じる。女ってホント怖い、うちのカミサンにも時々「処女(元)の残虐性」を感じるのだ。(泣)最後に「人間失格」は、漱石の「こころ」を意識している感じを受ける。文体は漱石の方が素直で好感が持てるが、その感情表現には自分にも思い当たる節が多々有り、とても考えさせられる。どちらも「遺書」的要素がその大半を占める作品であり、コレが何百万部も売れるベストセラーになるのだから、驚くばかりだ。だが、私は日々の生活に追われ「清貧」といえるような毎日を過ごしているため、自殺などを考える暇すらない。実は幸せな事なのだろうと実感する。あぁ、貧乏で良かった。頭が悪くてよかった・・・・と。