PLAYNOTE トレバー・ナン演出『Hamlet』

2004年05月01日

トレバー・ナン演出『Hamlet』

[演劇レビュー] 2004/05/01 13:03
Ben Wishaw
Ben Wishaw

イギリスでの初観劇は、奇しくもウィリアム・シェイクスピアの最高傑作、言わずと知れた『ハムレット』!演出はトレバー・ナン。1968年に最年少でRSCの芸術監督に就任、以後数々のシェイクスピア作品やミュージカルの演出で知られる、よく熟れた演出家だ。1996年には映画監督作品『十二夜』が日本でも公開されている(いい映画、おすすめ)

Old Vic Theatreはロンドンの中心地から見てテムズ河の向こう側。客席数500程度(目測)の小劇場ながら、プロセニウムアーチに三層の客席を備えたいかにもヨーロッパらしい劇場。地下にはちょっとしたバーがあり、皆開演五分前までビールやワインを飲みながらワイワイやっていた。日本ではあり得ない光景! 開演前にまず感動してしまった。

肝心の劇の方は、もう最高の一言に尽きた。もちろん英語はわからなかったが、日本で何度も読み、何本も映画を観た作品において、言葉の壁はそれほど高く感じなかった。トレバー・ナンの演出は斬新かつ波紋を呼ぶものだったが、首尾一貫した世界観とハムレット像を打ち立てており、ハムレットという作品の懐の広さを改めて実感。演劇って本当に面白い! 久しぶりにこの言葉を、心置きなく言うことができた気がする。

注目は23歳のハムレット。日本では藤原竜也が21歳でやっちゃったからあんまりショッキングに聞こえないけど、こちらでは相当珍しいことらしい。「繊細」を通り越して「脆い」という表現がしっくり来るようなハムレット。ほとんど自閉症気味にさえ見える。例の"To be, or not to be."独白では、睡眠薬とEvianのペットボトルを握り締めながら、消え入るような声で演じていた。

舞台は完全に現代に置き換えられている。一幕二場の宮廷のシーンは、白のスーツに身を包んだクローディアスとスリムなドレスをまとったガートルードの記者会見(!)として演じられ、そこに黒のニット帽をかぶったハムレットがひょこひょこ入って来る、という趣向。中盤ではテニスウェアで出て来たりして、イギリス王室を皮肉ってるようにも見えた。オフィーリアは高校の制服を着て、ステレオから流れるStrokes(イギリスで人気のロックバンド)の曲にあわせて部屋でヒップホップみたいなダンスをしている始末。

最初はやり過ぎに思えたが、鬱気味のハムレットにせよ女子高生オフィーリアにせよちゃんと首尾一貫した人格として成立しているし、ハムレットという劇の不必要ないかめしさを取り払うのにこの演出は格好だった。むしろ心理劇として繋がりを持った緊密な演出という印象。

そして驚いたことに、劇場には最初から最後まで笑いが絶えなかった。ポローニアスや墓掘りだけが笑いをとるのではなく、全員が時として笑いを取った。何と、あの有名な「尼寺へ行け!(Get thy to a nunnery)」という台詞、ここで笑いが起こった。信じられない。球筋が多くて飽きの来ない、トレバー・ナンのコメディ・センスに脱帽。

適度な笑いは観客の劇への集中力を維持する絶好の手段。あくびをしている観客などいなかった。音楽を流して道具の出ハケだけで済ませる、暗転のない素早い場転(日本の小劇場のそれを思い起こさせた)も劇全体をテンポアップしており、古典を見ているという感覚はほとんどない。たまに口ずさまれるBlank Verseの韻律詩が、シェイクスピアを見ているんだという実感を呼び戻す。

ラストシーンは、倒れたハムレットをホレイショーが抱きかかえる絵画のような美しい構図に、鳥の泣き声が響く中ゆっくりと暗転。まるでロマン主義の絵画を見ているかのような美しさだった。Tom MannionやNicholas Jonesといった先達の名演も手伝ってか、“若い”、そして現代のハムレットの苦悩は見事な悲劇として完成していた。

そして、シェイクスピアの戯曲が、単に文学的な美しさを持っているだけでなく、演劇として面白いのだということを再確認できた。次から次へと起こる事件、陰謀、殺人。こう書くとまるでB級サスペンスのようだが、ハムレットはそういったサスペンスに満ちた芝居なのだということにこの日まで気づかなかった気がする。哲学的な面や文学的な面ばかり見ていては、エリザベス朝時代の観客を沸かせた大衆作家・シェイクスピアのすべてを知ることはできない。

もちろんこういった現代的で笑いに満ちた舞台が、ともすれば下品に映ることは否めない。正直自分も、最初はちょっと品がないように思えた。加えていかめしさを殺してスピードと笑いを手に入れた舞台が、作品の深淵を浅く映し、ハムレットの気高さや哲学者としての一面を取り残してしまった感はある。新聞各紙の酷評はそのためだろう。

だが、ハムレットという劇の面白さは、多面的で長大な原作からどの一面をクローズアップして演出するかという自由が残されている点にもあることをここに主張しておきたい。確かにトレバー・ナンの演出によって失われた原典の魅力は少なくないだろうが、それにも増して現代の観客を沸かせる再生を彼は行ったのだ。

主な新聞各紙の劇評へのリンク

最後にひとつ。基本的には原作の台詞と構成に忠実な演出だったが、トレバー・ナンは一箇所大きな改変を行っている。例の"To be, or not to be"独白を、ナンは亡霊が去った直後に持って来たのだ。

原作では、オフィーリアに加えてクローディアスとポローニアスが立ち聞きしている中、しかもハムレットはオフィーリアが近くにいるのを知っていながら、あの独白を行っている。これは明らかに不自然だ。他の独白は必ずハムレット一人の時に成されている。これを前述の場所へ持ってくることでこの不自然さを消し、かつ長年論争の的となってきた"To be, or not to be"の意味を、復讐と自殺への逡巡に絞ったのだ。極めて明快な演出である。

これを否とする向きは多いだろうが、私はこれを英断として称えたい。評論家や世間様がこのハムレットをどう捉えるかは知らないが、俺は面白かったと思うぜ。いい芝居だった!