PLAYNOTE ジャック・リチャードソン『放蕩息子』

2004年02月06日

ジャック・リチャードソン『放蕩息子』

[読書] 2004/02/06 09:20
オレステス像
“伝説の”オレステス像

サルトル『蝿』と同じオレステス伝説のアナザー・ストーリーなのだが、設定がすごい。オレステスは何に関してもシラけた態度を取り、女遊びにふける放蕩息子として描かれている。気高い生を訴え掛ける父の言葉に冷笑的な皮肉を浴びせ、刃を手にしたアイギストスを止めようともせず自分は旅に出てしまう。最後にはようやく復讐の刃を手にするが、それも嫌々ながらと言った態度。

初演は1960年。戦後世代のオレステスだ。白水社『世界現代演劇 5』収録。

オレステスは復讐しない。オレステスは復讐女神にも倫理にも、義務にも法にも追われない。ただ追われるのは世間の目である。民衆は自ら迎えたはずのアイギストスの政治を疎ましく思い始め、抵抗のシンボルとして市中の壁に先王の名が落書きされるようになる。もちろんそこにはその息子-復讐を果たさない放蕩息子-オレステスの名も添えられている。

世間の冷たい目に追われて、オレステスは友人(ピュラデス)を失い、婚礼を挙げようとしていた庶民の恋人を失う。オレステスは最後、こうつぶやく。

もはや、これらの力に従わぬわけにはいかない。帰って、殺して、これはよりよい世界のためであったと言おう。そう言っておかぬと、狂気がはびこるからな。やがて私はアルゴスの市民たちを前にして立ち、わたしの行為は大いなることのさきがけだと語るだろうが、そのとき、心のうちでは、ただ弱さゆえに皆の前に現れるはめになったのだと考えていよう。わたしは来るべき黄金時代について語り、それを招くためにわたしがなした殺人を誇るだろう。だがアガメムノン王、わたしは心ならずもそうするのだ。もっとましなことをやるだけの力がなかったことを身にしみて感じながら、そうするのだ。(p319)

な、なんて後ろ向きな! 衝撃。

悲劇と宿命ということについて最近考えているが、この“放蕩息子”オレステスを襲った市民の目も宿命、あるいは復讐女神なのだ。

古代の英雄たちは進んでその役割を引き受け、神の法を自らの身で担った。現代でかの伝説のオレステスの如き気高さを持つ人間はいない。だが、復讐を求める市民の目は生きている。復讐女神は生きているのだ。誰もがオレステスになれない代わりに、自分以外のオレステスを求めている。そういう劇と読んだ。

まぁ、解釈なんかどうだっていい。ギリシア悲劇好きとしてはこのアレンジは本当に面白かった。簡潔で透徹な文体も、やや物足りなくはあるが主題に合っている。最後に登場直後のオレステスの台詞を。

「それもそうだな。わが身を投げ出した処女は、わが身を投げ出した将軍よりも、ずっと魅力がある。」(p256)